鉄道コムおかげさまで鉄道コムは25周年

鉄道コらム

上野~南千住間で迂回する理由とは? 川口始発だったかもしれない常磐線起点の歴史

2023年5月10日(水) 鉄道コムスタッフ 西中悠基

東京と仙台を海沿いを経由して結ぶ常磐線。起点の上野駅(正式な起点は日暮里駅ですが)を出ると左にカーブし、そして日暮里駅を出ると今度は右に大きくカーブします。

常磐線の特急「ひたち」
常磐線の特急「ひたち」

この区間を地図で見てみると、常磐線は西に大きく迂回した線形です。上野~北千住間で並行する地下鉄日比谷線のようにショートカットすればよさそうですが、常磐線はなぜ、このようなロスのある線形で建設されたのでしょうか。

上野~南千住間の地図。現在の経路(青帯)ではなく、日比谷線沿い(赤帯)で建設すれば距離ロスはないのですが……(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆)
上野~南千住間の地図。現在の経路(青帯)ではなく、日比谷線沿い(赤帯)で建設すれば距離ロスはないのですが……(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆)

常磐線は、東北本線同様に、半官半民といわれた私鉄「日本鉄道」によって、大部分が建設されました。1889年に水戸鉄道によって開業された友部~水戸間を皮切りに、徐々に線路は南へと延びていき、1896年12月に田端~土浦間が開業。東京と水戸を直接結ぶ鉄道が誕生しました。

この際、田端駅が起点とされたのは、貨物輸送を目的としていたため。現在の東北本線や、1903年に開業した山手線との貨物列車の直通を重視していたため、南千住駅から田端駅にかけて一直線に延びる線路が建設されたのです。

旅客列車は、当時から上野駅を始発駅としていましたが、この線形のため、田端駅でスイッチバックしていました。この手間を解消するため、1905年に日暮里~田端間の線路が開業。現在の常磐線の姿となりました。

余談ですが、現在の常磐線を建設した日本鉄道は、当初は川口駅付近を起点とし、川口~流山~我孫子~土浦……というルートでの鉄道建設を計画していました。仮にこのルートで建設されていたら、常磐線は今以上に上野~我孫子間で時間を掛けて走っていたことに。川口や流山、千住や松戸の交通ルートも、今と大きく変わっていたことでしょう。

関連鉄道リポート

鉄道コムおすすめ情報

画像

113系福知山色復刻

福知山地区で活躍する113系で「福知山色」が復刻。6月5日から山陰本線などで運転。

画像

京都鉄道博物館で12系展示

京都鉄道博物館で12系の展示や「SLスチーム号」客車変更など実施。オハフ12形は夏に廃車予定。

画像

3200形「フレキシブルに変更」の意味は?

京成電鉄の新型車両「3200形」。組成内容や連結器の秘密を同社に聞きました。

画像

「キャニオンルート」年内断念

新たな観光ルート「黒部宇奈月キャニオンルート」、黒部峡谷鉄道の鉄橋被災で年内開放を断念。

画像

あえて「車両が無い」鉄道写真

鉄道写真は、車両が写っている写真だけではありません。列車以外の鉄道写真の撮り方を、カメラマンの助川さんが解説します。

画像

6月の鉄道イベント一覧

梅雨のシーズンでもイベントは多数開催。6月のプラン立てには、鉄道コムのイベント情報をどうぞ。

画像

相鉄10000系リバイバル車投稿写真募集中!

相鉄10000系のリバイバルラッピング車両。みなさまが撮影した写真を大募集!投稿はこちらから。