カプロラクタムさんのブログ
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全375件
市棚駅は2面3線で1列車退避中に2列車交換ができる配線になっていた。蒸機時代はD51貨物列車、DF50の牽く急行列車、普通列車の3列車が並ぶ光景が魅力であった。その時代に降り立つことはかなわなかったが国鉄時代...
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馬町交差点から諏訪神社前電停を見る。歴史ある街は「馬」のつく地名をよく耳にするが、その昔、街道を行く馬の手配をしたのが由来とか。3系統赤迫行の300形305が交差点内の直角カーブを進む。 蛍茶屋から公会堂...
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■小倉駅前 昭和47年8月 小倉の街は幾度となく来ているのに西鉄電車は写真に残せていない。当時の北九州市は西日本で唯一の100万人都市で、大都会の印象を抱いていた。小川秀三さんが撮影された小倉駅前の情景は...
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阿蘇外輪山の西側は白川が突き破ったわずかな切れ目を線路は這い上がって立野に着く。3段スイッチバックで火口原へと出た線路は阿蘇五岳を右に見ながら外輪山東の麓、宮地に至る。急峻な山を越えるため大きく迂回...
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大分川左岸、深い谷あいの段丘上にきれいな弧を描く大バンクがある。国鉄時代終焉の大詰めを迎えた寒い日に、DE10の牽く上り鳥栖行をアウトカーブで待つ。25‰の上り勾配をゆっくりと登って来る。 国鉄時代最後の...
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青果卸売市場に山積みされた北海道産農産物の箱に印刷された産地名を見ると、かつて訪れたことのある場所が思い出されて感慨に浸る。北見?美幌?、この地名を聞くと寝台車を連ねた夜行急行が各駅停車となってC58...
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大分のオハ41は写真に収められずに残念な思いを抱いていたところに線路端さんより金沢で記録されたオハ41の写真を提供いただいた。オハフ41とオハ41400番台・450番台の3バージョンで思わず目を見張る。 昭和53(1...
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オハフ33の戦前製は丸屋根で、いかにも昔の客車といった印象がある。リベットのある車体と屋根の両端部にかけての微妙な曲線が特ちょうであった。 オハフ33151〔門モコ〕 下郡 S51(1976)/3 オハフ33151〔門モ...
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オハ41は地方都市の通勤輸送のために旧1等車から格下げされた車輛をロングシート車に改造した形式で、種車が多岐に渡っていたのでさまざまな形態があったようだ。 豊肥本線上り豊後竹田行に乗車する機会があり、...
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オハフ33を目前にして丸屋根ではない、かといって完全切妻ではない独特な端面を持ったクルマに違和感を感じ何コマか観察のシャッターを押す。 車体端部は雨樋の継目部分を境に屋根は車幅と同じ、下は出入台部分...
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ED74が敦賀第二機関区から大分運転所へ移ってきた理由は、北陸本線電化延伸の増備はEF70となったためであった。6輛の少数機ED74は日豊本線でも蒸気暖房のED76との共通運用はできず、その後の増備はED76になったこ...
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ED75 300番台は鹿児島本線熊本電化の際にED73の増備として登場した60HZのED75である。運用は門司~熊本・長崎間で、ブルートレインや高速貨物列車の先頭に立っている姿を誌上で目にしていた。貫通扉の付いた締ま...
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ネガを振り返るとナンバーが読めるオハ47は5輛を撮っていた。分オイ車3輛、門モコ車2輛がたまたま出会ったオハ47であった。 オハ4789を手持ちの配置表で探すと昭和48年は鳥栖、昭和53年は門司に配置されていた。...
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深い屋根とHゴム支持の大きな固定窓と小窓が配置された車体はブルートレイン20系のナロネ21とよく似ていた。番号標記の位置にある床下の大きな箱は何だろうか。 オロネ1030〔大ミハ〕 大分 S52(1977)/9/8「特...
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スハフ42179は昭和28(1953)年8月の落成で熊本に配置されている。その後大分に転属し旧形客車終焉まで活躍した。撮影時大分~佐伯往復の通勤列車は既に50系客車に置換えられていたので「大分⇔佐伯」のサボを掲げて...
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郡山から大分へ来たD6071は久大本線を走ることわずか1年足らずで直方へ転属した。小川さんの磐越東線での記録のおかげで郡山時代のD6071の容姿を知ることができた。 シールドビーム2灯装備の郡山機関区のD60にあ...
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郡山から直方へ来たD6052は煙突の形状が何とも異様な印象を抱いていた。北上線を走っていた横手機関区時代の写真を見ると、山高帽や釣鐘のような形状の郡山式集煙装置を被っていた。集煙装置を外した際、設置の時...
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昭和44(1969)年3月時点で直方機関区には11輛のD60が配置され、同時期の大分での12輛とはまた違った個性を持ったD60が勢揃いしていた。小川さん撮影の写真から各号機の細部と個性を眺めてみた。D6022 折尾~中間...
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門司港発筑豊本線経由原田行がDD51のエンジン音高らかに1番ホームから出て行った。編成は門司港客貨車区、門モコのオハフ33・スハフ42・オハ46・オハ47で組まれていた。 2747レ S52(1977)/8/8 西鹿児島発門司...
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大崎支線という名称はいつ頃知ったのかはっきりとした記憶は無い。とても都内とは思えないのどかな風景の中、気になっていた貨物線沿いを歩いていた。鉄道用地と道路を区切っているのは見事な枕木柵で、古き良き...
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「青胴車」5001形は2月10日にラストラン。引退前の「乗車会」開催や、引退記念グッズ発売も。
1月で引退の「ドクターイエロー」T4編成、先頭車がリニア・鉄道館で保存へ。6月に展示開始予定。
1950年代の国鉄は、東京圏を今と違った形に改良する計画を持っていました。その中身とは?
元小田急の西武8000系が、車両基地を出場。デビューは2024年度末から2025年5月末に変更。
撮影スタイルにあったレンズ選びについて、プロカメラマンが解説! 今回は、標準~望遠・超望遠レンズ編です。
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