東海道新幹線が開業したのは、1964年10月1日のこと。当時導入された初代新幹線車両が「団子鼻」の「0系」であることは、よく知られています。しかし、実は0系の前に開発された新幹線車両が存在していました。
1000形を名乗るその車両は、1962年に落成した車両。本格的な営業用車両である0系の製造や、東海道新幹線そのものの開業を前に、試験電車として製造されました。当初導入されたのは、2両編成のA編成と、4両編成のB編成。パッと見は0系と似ているのですが、「ヘッドライトの形」「先頭部の列車番号表示用窓」「曲面ガラスの運転台窓」「プラグドアの客用扉」「0系と異なるカラーリング(A編成のみ)」「六角形の側面窓(B編成の中間車1両のみ)」という点で違いがありました。
新幹線開業の2年前に登場した1000形は、先行して建設された鴨宮モデル線(現在の新横浜~小田原間の一部)で、1962年6月に走行試験を開始しました。1963年には時速256キロの速度記録を達成。これは国内のみならず、当時世界最速の記録(ただし電車方式によるもの)でもありました。
東海道新幹線の開業に向けて試験を繰り返した1000形のA・B編成は、新幹線開業時に一般乗客を乗せることはありませんでした。A編成は救援車、そしてB編成は電気・信号・通信設備の検測車、つまり「ドクターイエロー」に改造されたのです。さらに1975年には、0系の本格的な廃車が始まる前に解体方法を検証するため、両編成は浜松工場で解体されました。残念ながらA・B編成の保存車は存在しませんが、最初から最後まで、生涯を試験に捧げた車両でした。
なお、モデル線での試験期間末期となった1964年には、C編成と呼ばれる6両が製造されました。こちらはモデル線では1000番台の番号をつけられていましたが、その中身は0系の量産先行車。新幹線開業後には営業運転にも投入されており、現在は一部の車両が京都鉄道博物館に保存されています。