1872年に日本初の鉄道が開業した際、列車は蒸気機関車が客車を引く形で運転されていました。当時、一般の目に触れる蒸気機関を備えたものといえば蒸気船だったため、鉄道は船との対比として「陸蒸気」(おかじょうき)とも呼ばれていました。
開業時に導入された蒸気機関車は10両で、すべてイギリスからの輸入品でした。そのうち、最初に到着した車両は「1号機関車」と呼ばれており、日本初の鉄道車両として、現在は埼玉県さいたま市にある鉄道博物館で保存展示されています。
トップナンバーである「1」がつけられたこの1号機関車は、1872年の新橋~横浜間開業後、しばらくは関東地区で活躍していましたが、1880年ごろには関西地区へ転属。さらに現在の武豊線(愛知県)へと活躍の場を移し、その後ふたたび関西地区へ戻っています。そして、九州の島原鉄道が1911年に開業する際、1号機関車は鉄道開業時に同時に導入された2~5号機関車(160形)とあわせ、同社へ払い下げられます。1号機関車は、ここでも機関車番号が「1」となっており、新橋~横浜間の開業当時と同様、列車を引く仕事で使われました。
1号機関車が島原鉄道へやってきて20年ほどが経過した1930年、この機関車が鉄道黎明期の貴重な車両であるとして、新聞記者の呼びかけをきっかけに、保存を目指す運動が始まります。島原鉄道では、1号機関車はまだまだ使える車両であると考えていたようですが、国鉄が別の機関車と交換するということで決着。7月に島原鉄道で式典が執り行われ、1号機関車は最初の活躍の地である関東へと戻ることとなりました。この際、創業期から会社を支えた1号機関車に対し、島原鉄道の社長が感謝の文言を記したプレートを同機に貼り付けています。
関東へと戻った1号機関車は、しばらく大宮で過ごした後、1936年に秋葉原の交通博物館(当時は鉄道博物館)で展示が始まります。交通博物館が2006年に閉館し、これを引き継いだ鉄道博物館が開館した後は、同館の歴史展示ゾーンで静態保存されています。1872年の鉄道開業時から、関東、関西、中京、そして九州と渡り歩いてきた1号機関車は、大宮の地で、「鉄道記念物」としての余生を過ごしています。
ちなみに、1号機関車以外に導入された鉄道開業時の機関車は、他の9両中2両が現存。1両は初の開業区間の終点であった桜木町駅(1915年までの横浜駅)付近、そしてもう1両は台湾で保存されています。このほか、1号機関車とともに島原鉄道へと払い下げられた160形は、1872年に導入された車両こそ現存していないものの、1874年導入の同型機1両が残存。こちらはボイラーが載せ替えられたものの、愛知県の「明治村」で保存されており、貴重な明治製の動態保存機関車として、日々村内で運転されています。