東京都の品川・泉岳寺から羽田空港、横浜、横須賀方面を結ぶ京浜急行電鉄(以下、「京急」)。最高時速120キロで突っ走る赤色の車両が京急の大きな特徴で、「ハマ(横浜)の赤い彗星」などとも呼ばれます。
赤い電車が行き交う京急ですが、たまに真っ青に塗装された車両を見かけることがあります。京急線では泉岳寺~羽田空港間を中心に他社線との直通運転を実施しており、この区間では走る顔ぶれも色とりどりですが、ほぼ京急の車両だけが走る区間では、青い車体は非常に目を引きます。

ご存知の方も多いことでしょう。この「青い電車」は、「KEIKYU BLUE SKY TRAIN」(以下、「ブルスカ」)。その歴史は意外と長く、2005年、旅をテーマとした広告貸切電車としての使用を視野に入れて登場したものです。対象車両は、600形と2100形が1本ずつ。ちなみに、車両の名称には「BLUE SKY(青空)」の言葉が入っていますが、青い車体のイメージには、「羽田空港の空」のほか「三浦半島の『海』」も含まれているそうです。

そんなブルスカですが、そのデビュー前に、元ネタと思われる車両が一時的に走っていました。ブルスカ登場からさかのぼること数か月、京急では2004年12月に「青い電車」が登場していたのです。
これは、羽田空港第2旅客ターミナルの開業を記念したラッピング車両。現在のブルスカとは異なり、色合いはスカイブルーに近く、車体の屋根肩部の色が少し濃い、グラデーションになっていました。また、側面に航空機などのラッピングが入っていたことなども、現在のブルスカとは異なっていました。対象車両は、1000形の1025編成と1033編成。2005年3月にはこのラッピングが解除されますが、同月に606編成がブルスカとして登場。さらに、この年の6月、新たに2100形2157編成がブルスカとしてデビューしました。その後、同編成は2015年に標準色へ戻されましたが、現在は2133編成がブルスカを引き継いでいます。その色合いや対象の車両は変わっているものの、京急の「青い電車」の歴史は、現在まで20年間、途切れずに続いています。
ちなみに、606編成のデビューは1995年。赤色の標準色よりもブルスカでいる期間の方が、圧倒的に長くなっています。
気づけば20年もの時を紡いできた京急の「青い電車」。この歴史のなかですっかり沿線に溶け込んだ感もありますが、やはり目立つためか、とくに沿線の子どもたちからは大人気。登場時の一目的のとおり、期間限定の広告をまとって走る機会も多くなっています。企業の広告塔として、子どもたちのあこがれの存在として、「青い電車」がいる日々はまだまだ続きそうです。
