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「たった3年」でメインルートから没落 京急の残念すぎた、小さな元「本線」の面影

2025年1月5日(日) 鉄道コムスタッフ 井上拓己

東京都品川区と大田区の境目付近にある、京急線の大森海岸駅。似た名称のJR線の大森駅とこの駅は、ほぼ一直線の道路で結ばれています。その道を歩いていると、足元には「チンチン電車」の文字と路面電車の絵が描かれたタイルが埋まっています。

このタイルがあるのは、多くの自動車が行き交う道路の片隅。ちょっと想像しづらいのですが、昔は本当に、ここを路面電車が走っていました。現在の京浜急行電鉄の前身である京浜電気鉄道の路線です。

路面電車が走っていたことを今に伝える、「チンチン電車」のタイル
路面電車が走っていたことを今に伝える、「チンチン電車」のタイル

現在の京急の歴史は、1898年に創立した大師電気鉄道に始まります。1889年1月、同社の路線として六郷橋~大師(現在の川崎大師駅)間が開業。同年4月には、社名を京浜電気鉄道へと改めています。

同社は路線網の拡大につとめ、1901年、六郷橋から大森駅へと路線を延伸。当時のこの区間は、国営の鉄道(現在のJR線)の駅から川崎大師へのアクセスを担う基幹路線として活用されたことでしょう。

しかし、大森駅~川崎大師間の基幹路線としての機能は、長く続きませんでした。じつは、この六郷橋~大森駅間の路線、京浜電気鉄道の六郷橋~品川間の延伸工事の第一期工事として開業したものでした。1904年に第二期工事が完了し、京浜電気鉄道は品川への乗り入れを果たしましたが、この延伸線は大森駅ではなく、手前の八幡駅(現在の大森海岸駅)から出ていました。これ以降、京浜電気鉄道は品川へ向かう路線がメインルートとなり、八幡~大森駅間の区間はたった3年でメインルートの座を奪われてしまいます。以降、同区間は支線の扱いとなり、「大森支線」と呼ばれるようになりました。なお、八幡駅は品川延伸後、駅名を「海岸」に変更。そして1933年に現在の「大森海岸」へと改称されています。

現在の地図に、営業末期の大森支線(紫線)を重ねた図。同線の営業当時、大森駅と大森海岸駅は灰色の位置にありました。また、大森支線の大森駅は、開業当時はループ線を描いていました(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆し作成)
現在の地図に、営業末期の大森支線(紫線)を重ねた図。同線の営業当時、大森駅と大森海岸駅は灰色の位置にありました。また、大森支線の大森駅は、開業当時はループ線を描いていました(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆し作成)

京浜電気鉄道の品川延伸により、支線扱いとなった海岸~大森駅間は、1キロ未満の距離を電車が往復するという運転形態となりました。結局、同区間は1937年に廃止となり、「2つの大森駅」を結ぶ路線は戦前に姿を消しました。路線としては短命に終わったように見えますが、大森海岸駅と大森駅は徒歩10分程度でアクセスできるほどの至近距離。距離も短く、観光要素の強いエリアを通っていない路線が30年以上も維持されていたことは、特筆すべきことといえるかもしれません。

現在、同区間には線路があった痕跡はありませんが、前述した路面電車の絵のタイルのほか、「沿道の歴史」と書かれた案内板が置かれており、かつて電車が行き交っていたことをいまに伝えています。

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