2025年1月29日、JR発足日からの日数が、国鉄が誕生してから消滅するまでの日数を超えました。
日本国有鉄道、通称「国鉄」が誕生したのは、1949年6月1日のこと。1987年3月31日まで38年間、日数に直すと1万3817日の間、国有鉄道の事業を担ってきました。その後を引き継いだJRグループは、2025年で誕生から38年を迎え、1月29日には創立から1万3818日と、ついに「国鉄時代」の期間をJRの歴史が超える日が来たのです。
「国」が保有する「鉄」道と書く国鉄ですが、実際には国が直接鉄道を運営しているわけではなく、政府が出資する特殊法人という形態となっていました。1872年の新橋~横浜間開業以来、日本の国営鉄道は、国の行政機関(鉄道省などを経て、末期は運輸通信省鉄道総局)が運営していました。しかし1948年、敗戦国となった日本の占領統治機構だった連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が、国有鉄道や専売事業(たばこなどを扱った大蔵省専売局のこと。日本専売公社を経て、現在は日本たばこ産業(JT))の公共企業体への変更を命令したことにより、日本国有鉄道という特殊法人が誕生することとなったのです。
その国鉄は、1960年代から赤字経営が続いたほか、職員によるストライキや暴動の多発などによって、改革が求められるようになりました。結果、国鉄は1987年、JR7社やJR総研、鉄道情報システムといった関連会社に事業を引き継ぎ、分割民営化が果たされました。日本国有鉄道だった法人自体は、日本国有鉄道清算事業団に名を改め、国鉄債務の精算などのための組織に生まれ変わりましたが、長期債務の償還という目的を完遂することなく、1998年に消滅しています。
国鉄から全国の鉄道路線を引き継いだJR各社は、当初はイメージアップやサービス改善に奔走。各社が独自性のある車両を導入し、経営の多角化にも取り組むなど、各社さまざまなカラーがある現在のJRグループを作り上げました。
一方、この38年間で少子高齢化などの日本全体が抱える課題は進行し、鉄道業界にも大きな影響を与えました。分割民営化時、特に「三島会社」と呼ばれて経営が不安視されていたJR北海道、JR四国、JR九州だけでなく、本州で営業するJR東日本やJR西日本ですら、利用者減少による閑散路線の廃止に踏み切っているのが現状です。国鉄分割民営化の議論がなされていた頃、政権与党では、新聞に「不便になりません」「ブルートレインなど長距離列車もなくなりません」「ローカル線もなくなりません」という広告を出していましたが、これらはすべて反故にされた形です。しかしながら、環境が変化し続ける中、約40年前と同じサービスを提供し続けろというのは酷な話ではあります。
国鉄では、末期の厳しい情勢を背景に、1982年を最後に高卒の採用を打ち切っていました。つまり、現在のJR各社において、現場で働いた高卒採用の「元国鉄マン」は、すでに全員が60歳を超えており、各社の社員はほとんどが「JR世代」となっています。「JR時代」が国鉄時代の期間を超えた今の時代、鉄道業界では少子高齢化による利用者や働き手の減少、資材価格などの高騰といった、国鉄末期とはまた違った課題が積み上がっています。節目を向かえ、新たな時代に進むJR各社には、難しい舵取りが求められています。