東京駅と上野駅を結び、東海道線と宇都宮・高崎線、常磐線を直通する「上野東京ライン」が開業してから、2025年3月で10年を迎えます。かつては東京駅と上野駅でそれぞれ折り返していた各線が結ばれ、旅客の利便性は大幅に向上しています。

開業10周年という、まだまだ新しい上野東京ラインですが、東京~上野間を結ぶ東北本線の線路は、実は戦前にはすでに存在していました。
東京駅と上野駅を秋葉原駅経由で結ぶ線路が開通したのは、1925年のこと。それまでにも、東京~神田間には中央線が通っており、秋葉原~上野間にも貨物線が敷かれていましたが、東京駅と上野駅を最短距離で結ぶ線路は存在していませんでした。また、この時点で東京~上野間を走ったのは山手線と京浜線(現在の京浜東北線)のみ。東北本線の中長距離列車が走るための線路が開通したのは、1928年のことでした。

東京~上野間の東北本線の線路は、「回送線」と呼ばれていました。主に回送列車を運転するために建設した、という意味のようで、東海道本線の上り列車が東京駅に到着した後、そのまま尾久の車両基地へ、あるいは東北本線の上り列車が田町の車両基地へ入庫できるようにすることで、回送時に列車の向きを変える必要をなくし、効率化を図ることが期待されていたようです。

ただし実際には、回送線はその名前に反し、営業列車にも使われていました。この線路では戦前から戦後にかけて、多客臨時列車や長距離列車、ラッシュ時の通勤電車などの運転に活用されていたのです。たとえば1960~70年代の東北・上越方面の特急「はつかり」「つばさ」「とき」などは、一部列車が東京駅発着となっていました。一般列車でも、1950年代には富士駅と前橋駅を結ぶ列車という、今の上野東京ラインのような列車が設定されていました。
また、回送線の東京~秋葉原間は、東海道本線の留置線としても活用されていました。線路は東京~上野間で複線分あったのですが、東京~秋葉原間は実質単線区間となっていました。
そんな「国鉄時代の上野東京ライン」は、東北新幹線の建設工事によって、終焉を迎えます。東京~秋葉原、特に神田駅付近のスペースを新幹線に譲り渡すことになり、定期旅客列車は1973年に、その他の列車も1983年に運転を終了しました。新幹線用地とならなかった区間のうち、東京駅から首都高速都心環状線までの間は東海道本線の引き上げ線に、秋葉原~上野間は東北・高崎・常磐線の留置線にそれぞれ転用されています。
2015年に開業した上野東京ラインは、かつての回送線の名残である引き上げ線・留置線を接続し、神田駅付近では東北新幹線の高架線の上に新たな高架線を構築することで整備されました。回送線時代は一部列車の使用に限られていた東京~上野間の線路は、上野東京ラインとなった今、大部分の東海道線直通の普通列車のほか、一部の特急列車の回送などにも使われています。