その昔、「地下鉄の電車はどこから入れたの? それを考えてると一晩中寝られないの。」という漫才がありました。たしかに、ずっと地下を走っている地下鉄の車両、どこから運び入れたのでしょうか。
その答えは簡単、地上に設置した車庫へ運び入れるのです。たとえば、日本初の地下鉄である銀座線は、開業当時から上野駅付近の地上に車庫が設置されています。また、東京メトロの半蔵門線や、開業当時の都営浅草線のように、線内に車庫スペースを設けることができない場合、直通運転先の他社線内に車庫を設置していることもあります。
一方、沿線の都市化の進行などで、地上に車庫を設けることができない路線も出てきました。そのため、都営地下鉄新宿線や大江戸線、大阪メトロ長堀鶴見緑地線や今里筋線などでは、本格的な車両基地を地下に設置しています。肝心の車両搬入はというと、車両基地に縦穴を設け、クレーンで地上から地下へ車両を降ろすことで対応しました。
そのほか、路線建設の進行上、搬入用の縦穴を備える大規模な車両基地を設けることができない路線がありました。
1964年に高田馬場~九段下間が開業した東京メトロ(当時は営団地下鉄)東西線は、開業当時は線内に大規模車両基地がなかったため、竹橋駅付近に仮の搬入口を設け、車両をトンネル内に搬入。1967年の東陽町駅開業によって深川検車区が稼働を開始するまでの約3年間、東西線用車両は九段下~飯田橋間に暫定的に設置されていた検車区で検査を受けていました。
また、名古屋市交通局の東山線や鶴舞線、現在の大阪メトロ御堂筋線も、当初は東西線と同様の体制を採っていました。