自動車の運転免許取得のために多くの人が教習所へ通うのと同じように、鉄道業界でも運転士の免許取得などを目指すための施設があります。現在、JRや大手私鉄では各社が養成所を保有しており、国鉄時代にも当初は「鉄道教習所」、後に「鉄道学園」が各所に設置されていました。
その「鉄道学園」の中で、最も規模が大きかったのが、国分寺にあった「中央鉄道学園」。ここでは、運転士などの養成に加えて「大学課程」が設けられ、これを修了すれば国鉄部内の人事考課で大学卒業者相当として扱われたといいます。
そんな中央鉄道学園ですが、国鉄分割民営化の際に廃止され、跡地は売却。現在は省庁の施設や団地、都立武蔵国分寺公園などとなっており、公園の一角には、かつての学園をしのんだモニュメントが設置されています。
ところで、学園売却後に行われた発掘調査にて、この跡地の下から「東山道武蔵路」の遺跡が発見されました。この道路は、飛鳥時代に整備された、都から東北へと延びる幹線道路の一本「東山道」から分岐し、武蔵国の国府へと向かう支線格のもの。支線とはいえ、東山道から武蔵国や下総国へ抜ける道路として、大いににぎわっていたと言われています。
東山道武蔵路が通り、各国に設置された「国分寺」が所在して、さらに時代が下ると中央鉄道学園が設けられた国分寺。現在も中央線と武蔵野線という幹線が交わっており、交通に関する要衝という点は変わっていません。