鉄道コム

鉄道コらム

明治初期からトンネル開業 日本人による鉄道トンネルの建設が可能だった理由とは?

2022年10月12日(水) 鉄道コムスタッフ 西中悠基

日本初の鉄道が開業したのは、1872年10月14日。関東の新橋~横浜間でした。これに続き、関西でも鉄道建設が進められます。1874年には大阪~神戸間が、1877年には大阪~京都間が開通。日本初の鉄道開業からわずか5年で、東京と大阪という現代の二大都市圏で、鉄道が整備されました。

新橋~横浜間では、六郷川(多摩川)を渡る鉄橋や、海の上に建設した築堤といった土木工事はありましたが、地形自体はおおむね平坦で、トンネルはありませんでした。一方、大阪~神戸間では、川底が地表よりも高い「天井川」をくぐるための日本初のトンネル「石屋川トンネル」が建設され、日本初の鉄道トンネルとして1871年にしゅん工しました。

石屋川トンネルの建設からさらに下った1880年には、日本人のみで建設されたトンネル「逢坂山トンネル」が開通しました。全長約660メートルのトンネルで、京都府と滋賀県にまたがる逢坂山を貫いています。

初の日本人のみで建設された鉄道トンネル「逢坂山トンネル」
初の日本人のみで建設された鉄道トンネル「逢坂山トンネル」

鉄道建設というと、近代的な技術が多用されるという印象がありますが、このように初期の工事からトンネル工事が可能だったのには理由があります。日本では、江戸時代以前から鉱山でトンネルを掘る技術が発達していたため、鉄道建設の初期からこのように技術力を活かすことができたのです。

2022年現在、石屋川トンネルは高架化によって現存しませんが、同時に建設された川底トンネル「芦屋川トンネル」と「住吉川トンネル」は、解体こそされたものの、現在も線路は川底を通っており、トンネル供用時代の痕跡が残っています。

かつての芦屋川トンネルの跡地
かつての芦屋川トンネルの跡地

逢坂山トンネル周辺の線路は、後の新線付け替えによって廃止され、トンネルも現在は使用されていません。トンネル西側の坑口は、現在は名神高速道路建設によってほとんどが埋められた状態。一方、東側の坑口は、現在もその姿を残しています。

鉄道コムの最新情報をプッシュ通知でお知らせします無料で受け取りますか?

鉄道コムおすすめ情報

画像

ラストランは2月10日

「青胴車」5001形は2月10日にラストラン。引退前の「乗車会」開催や、引退記念グッズ発売も。

画像

「T4編成」展示へ

1月で引退の「ドクターイエロー」T4編成、先頭車がリニア・鉄道館で保存へ。6月に展示開始予定。

画像

幻の東京圏「改良計画」とは?

1950年代の国鉄は、東京圏を今と違った形に改良する計画を持っていました。その中身とは?

画像

「サステナ車両」5月デビュー

元小田急の西武8000系が、車両基地を出場。デビューは2024年度末から2025年5月末に変更。

画像

撮影スタイルとレンズ選び

撮影スタイルにあったレンズ選びについて、プロカメラマンが解説! 今回は、標準~望遠・超望遠レンズ編です。

画像

1月の鉄道イベント一覧

2025年も鉄道コムをよろしくお願いします。1月の計画立案には、イベント情報をどうぞ。

画像

イベント投稿写真募集中!

鉄道コムでは、臨時列車や基地公開など、さまざまなイベントの投稿写真を募集中! 投稿写真一覧はこちら。