鉄道開業150周年となる2022年は、多くの新幹線開業から周年を迎える「新幹線イヤー」でした。この「新幹線イヤー」は、東北新幹線(1982年部分開業)や山形新幹線(1992年部分開業)、北陸新幹線(1997年部分開業)などを有するJR東日本が展開するプロモーション企画の名称ですが、ほかにも山陽新幹線(1972年部分開業)や西九州新幹線(2022年開業)といった路線の節目にも当たります。
そんな新幹線が日本で開業したのは、1964年10月のこと。ですが、新幹線のような高速鉄道は、それ以前から建設が計画されていました。
よく知られているのは、戦前に計画された「弾丸列車」。東海道・山陽本線の輸送力増強を目指した標準軌路線で、東京~下関間を約9時間で結ぶ計画でした。また、電車方式を採用している現在の東海道・山陽新幹線と異なり、電気機関車または蒸気機関車がけん引する方式で検討が進められていました。
弾丸列車の建設は1940年に帝国議会で可決され、工事が進められました。がしかし、国が戦争に突き進む中で情勢が悪化し、工事は中断。建設はそのまま放棄されてしまいました。
ただし、最終的に完成に至った日本坂トンネルや、途中で工事が中断した新丹那トンネルなど、一部の弾丸列車の設備は、後の東海道新幹線の建設に活かされています。また、新幹線の英語訳としては、「Shinkansen」のほかに「Bullet Train」というものも。こちらは直訳すれば弾丸列車となり、当時の名称が今も残っている形となっています。
さらに時代をさかのぼると、1907年には東京~大阪間を6時間で結ぶ私鉄「日本電気鉄道」の計画が持ち上がっていました。現代の基準で見れば低速ですが、当時としてはかなりの高速鉄道とする目標だったこの路線。残念ながら政府によって出願は却下されてしまいましたが、鉄道開業からたった35年でこのような計画が持ち上がるほど、日本の黎明期の鉄道は急成長していたのです。