京都と奈良という二つの古都の間には、これまた両都市を結ぶ二つの鉄道路線が走っています。その一つ、JRの奈良線は、現在はどちらかといえば郊外路線としての立場が強い路線。ですが、かつてはこのルートの一部が、日本の大動脈、つまり東海道本線が通る経路でした。
1880年、現在の東海道本線が、京都と琵琶湖畔の大津の間で延伸開業した際、線路は京都駅の東側で一気に南下するルートを通っていました。京都の東側にある東山と逢坂山をなるべく避けるためです。
トンネル建設技術が未発達だった時代、これらの山の下に長大トンネルを掘る技術はなかったため、迂回して大津に至るルートが選ばれたのでした。ただし、トンネル建設が技術的に不可能だったわけではなく、道中には初めての日本人による鉄道トンネル「逢坂山トンネル」が建設されています。
その後、列車本数が増大してくると、今度はルート上の勾配が問題となります。長大トンネルの建設が可能となれば、山を迂回して上るよりは、一気にトンネルで貫いた方が、所要時間でも運行効率でも有利。結果、1921年に東海道本線はルートを変更し、現在の山科経由となりました。
一方、この当時の奈良線は、現在の近鉄京都線のルートを通っていました。1921年、東海道本線のルート変更にあわせ、奈良線は現在のルートに移設。かつての奈良線のルートは近鉄の前身企業に払い下げられ、現在の近鉄京都線のルートとなっています。
奈良線にも転用されなかったかつての東海道本線のルートでは、戦後に名神高速道路がほぼ同じ経路で建設されました。明治期に日本の大動脈として活躍したルートは、線路から道路に役目を変えつつも、今も大動脈として活躍しています。