3月18日の「相鉄・東急直通線」開業で、新横浜駅と、そして相鉄線とつながる東急目黒線。この路線が現在の目黒駅と武蔵小杉駅方面を結ぶ形になったのは2000年8月のこと。それまでは、目黒~多摩川~蒲田間を結ぶ「目蒲線」でした。
目黒線となる前の目蒲線は、20メートル級車両が主流の東横線や田園都市線と異なり、18メートル級3両または4両編成という、東急では小さめの車両が行き交う路線でした。車両も新車投入が後回しにされた路線で、1989年までは戦前製の3450形も運用に就いていました。
その目蒲線が大改造されたのは、東横線の混雑緩和のため。田園調布~日吉間を複々線化し、目蒲線と直通させ、さらに都心部で地下鉄に乗り入れることで、輸送状況の改善を狙ったのです。この工事の結果、目蒲線は2000年に目黒~多摩川間、多摩川~蒲田間に分割され、前者は多摩川~武蔵小杉(2008年以降は日吉)間とあわせた目黒線、後者は東急多摩川線となり、現在に至ります。
そんな、かつては地味だった目蒲線ですが、実は東急の発祥の地である、歴史的には重要な路線でもありました。
自然と都市生活が調和した「田園都市」の建設を目指した渋沢栄一は、1918年に「田園都市」という会社を設立。この子会社として設立された目黒蒲田電鉄が1923年に開業させたのが、目黒~蒲田間の路線でした。目黒蒲田電鉄は、後に東京横浜電鉄や池上電気鉄道と合併し、現在の東急の母体となっています。
目黒~蒲田間が開業してから、2023年でちょうど100年。開業から1世紀の節目を迎えた路線は、新たな直通先を得て、未来に進んでいきます。