首都圏の空の玄関口といえば、羽田空港と成田空港です。現在は、国際線でも羽田空港の存在感が増しつつありますが、それでも便数だけで言えば成田空港がまだまだ主役です。
そんな成田空港を離発着する航空機のための燃料は、現在は千葉港から延びるパイプラインが運んでいます。しかし、このパイプラインは、反対運動や設計変更などの影響で、空港の開港に完成が間に合いませんでした。そこで、パイプライン完成までの暫定輸送として、貨物列車が成田空港の航空燃料を運んでいました。
貨物列車は、千葉港から京葉臨海鉄道、外房線、総武本線、成田線を経由するルートと、鹿島港から鹿島臨海鉄道、鹿島線、成田線を経由するルートの2つで運行されました。成田駅からは東に専用線が延びており、ここが貨物列車の目的地。もとは資材基地として整備された場所で、燃料はここから暫定パイプラインで空港へと運ばれました。
1978年の開港時から続けられたこの暫定燃料輸送は、本格パイプラインが開通する1983年まで続けられました。貨物列車は5年間と短い期間の運行でしたが、成田空港には欠かせない存在となっていました。
国鉄では、暫定燃料輸送への対応として、機関車や貨車を製造。これが終了した後には、他の場所で引き続き使用を続けました。その中には、2021年にDD51形最後の定期貨物列車運用に就いた1801号機も含まれています。
暫定燃料輸送の終点となった場所は、その後「ウイング土屋」として再開発され、現在はイオンモールやシネコンなどが立ち並ぶショッピング街となっています。