標高523メートル。箱根湯本駅から登山電車に乗り、強羅駅までの道中の終盤にある駅のひとつが、小涌谷駅。周囲は閑散としており、列車の発着時以外は穏やかな時間が流れています。
そんな小涌谷駅ですが、登山鉄道の建設時には設置の予定がなかったこと、ご存知ですか?
箱根登山鉄道の建設は1912年に始まり、設計変更や工事の一時中断などが入りながら進められていました。このうち、宮ノ下~彫刻の森間で検討されていたルートは、2か所のトンネル(底倉隧道、二ノ平隧道)を設け、両駅間を抜けるというもの。しかし、結果としてトンネルは作らず、山肌に沿って迂回するルートに計画が変更されました。なぜ計画が変わったか。地質調査所報告第59号などを見ると、その理由がわかります。計画線の近くを通る蛇骨川付近の温泉脈が絡んでいたようです。
登山鉄道の建設当時、計画線上のトンネルが付近の源泉に悪影響を及ぼすのではないかと、周辺の温泉関係者が心配したといいます。そこで地質調査をしたところ、トンネルは温泉の通り道の邪魔にはならないが、悪影響を与えないとは言い切れないという結果が得られます。これを受け、登山鉄道はルートを変更し、温泉の通り道から離れた場所を通ることになりました。このとき、その道中に小涌谷駅を設けることが決まったのです。
ちなみに、小涌谷駅の近くには、1月2日、3日に開催される箱根駅伝で選手が通る、小涌谷踏切があります。現在のコース上にある唯一の踏切で、列車と選手の通過のタイミングが重なった場合、列車を待たせて選手を先に通すことで知られています。この踏切も、ルート変更があったからこそ設けられたもの。また、隣の彫刻の森駅近くには彫刻の森美術館がありますが、当初の登山鉄道の計画では、線路が現在の美術館の敷地内を横切るように走っています。もし計画どおりに線路が敷かれていたら、いまの箱根の風景は、ずいぶんと違ったものになっていたのかもしれませんね。