東海道・山陽新幹線の2代目車両として活躍していた100系。2003年の東海道新幹線における営業運転終了から、9月16日で20年が経過しました。
100系は、1964年の新幹線開業時に導入された0系以来、東海道・山陽新幹線用としては初のフルモデルチェンジ車両として、1985年にデビューしました。先頭部が「団子鼻」デザインだった0系に対し、「シャークノーズ」と称される流線形となり、印象を大きく変えました。
また、100系の際立つ特徴だったのが、中間に連結された2階建て車両。後にJR東日本が導入した新幹線、E1系・E4系「Max」の場合は、定員増加を第一として2階建てで製造されましたが、100系の場合は、車内空間の快適性向上も目指したものでした。
国鉄・JR東海が製造した編成は、16両編成中2両が2階建て車。1両はグリーン車で、1階には個室が設けられていました。もう1両は、食堂車またはカフェテリア・グリーン車の合造車。東海道・山陽新幹線で食堂車を連結した形式は、この100系が最後でした。
JR西日本では、さらにグレードアップした100系、通称「グランドひかり」を導入していました。こちらは2階建て車が16両編成中4両となり、最高速度も時速230キロ(JR東海車は時速220キロ)に。騒音などの問題で実現こそしませんでしたが、将来的な時速270キロ運転が可能な性能も有していたといいます。
0系から大幅に刷新された100系でしたが、後に300系などが登場し、時速270キロ運転の「のぞみ」による速達輸送が主流となっていくと、速度が遅い100系は、次第に足を引っ張るようになっていきます。そして700系が登場した後の2003年9月16日、100系は東海道新幹線での営業運転を終了。10月1日の東海道新幹線新幹線品川駅開業と、「のぞみ」主体ダイヤの開始を前に、東海道新幹線から去っていったのです。
一方、JR西日本に残った100系は、4両編成または6両編成に組み替えられ、「こだま」での運用が続きました。ラストランは2012年3月16日のこと。東海道・山陽新幹線に高速化時代をもたらした300系と同じ日の引退でした。