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大阪にあった「もう一つの東西線」とは? わずか半年のみの運行で消えた「幻の路線」

2024年3月24日(日) 鉄道コムスタッフ 西中悠基

「東西線」という路線名は、文字通り、ある街の東西を貫く路線で使われています。現在の日本では、札幌市営地下鉄、仙台市営地下鉄、京都市営地下鉄、東京メトロ、JR西日本(JR東西線)が、東西線として案内されています。また、阪急・阪神の神戸高速線も、設備を保有する神戸高速鉄道内での名称(および開業時の名称)は東西線です。

現在の大阪にある東西線は、京橋駅と尼崎駅を結ぶ、JR西日本のJR東西線のみです。しかし、1970年代にもわずか半年ほどだけ、別の東西線が存在しました。

もう一つの東西線があったのは、大阪府の北、豊中市と吹田市。東西線は別名で、正式には「会場線」という名称でした。この会場線は、北大阪急行が営業していた、千里中央駅と万国博中央口駅を結ぶ、約3.6キロの路線でした。

北大阪急行の車両
北大阪急行の車両

終点の駅名の通り、この路線が建設されたのは、万博輸送のためでした。1970年に開催された、大阪万博こと日本万国博覧会。万博のアクセス駅となったのは、阪急千里線の万国博西口駅(臨時駅)と、従来からあった国鉄の茨木駅、そして北大阪急行の万国博中央口駅の3駅でした。

もともと、現在の千里中央駅方面へは、大阪市営地下鉄(現:大阪メトロ)の路線として、御堂筋線が延伸する構想がありました。しかし、万博開催にともなって早急な路線延伸が求められた結果、阪急が出資する新会社、北大阪急行が設立され、現在に至っています。

万博輸送については、大阪市、阪急とも、当初はあまり乗り気ではなかった様子。しかし蓋を開けてみれば、万博は大成功に終わり、北大阪急行東西線こと会場線の利用も好調でした。万博輸送で得た収益は、北大阪急行のその後の経営の柱となり、同社の運賃は現代でもかなり安いレベル(大人初乗り100円)に据え置けるほどの影響を与えました。

会場線の終点だった万国博中央口駅は、現在は中国自動車道に敷地が転用されており、当時の面影はほとんどありません。もともと高速道路用地だった場所を、万博開催中だけ鉄道用地に転用していたためです。また、長らく北大阪急行線の終点だった千里中央駅も、開業当時は仮駅で営業しており、こちらも現在の中国道の敷地に駅がありました。

2024年現在の万国博中央口駅跡地付近。駅は右の料金所付近にありました。左に見える太陽の塔付近が、万博開催時のメインゲートでした
2024年現在の万国博中央口駅跡地付近。駅は右の料金所付近にありました。左に見える太陽の塔付近が、万博開催時のメインゲートでした
大阪モノレール千里中央駅付近の、中国道にまたがる歩道橋。右の出っ張りが、かつて千里中央駅仮駅があった名残りです
大阪モノレール千里中央駅付近の、中国道にまたがる歩道橋。右の出っ張りが、かつて千里中央駅仮駅があった名残りです

会場線は、1970年2月に開業し、9月に廃止されるという、たった7か月のみ存在した路線でした。北大阪急行の南北線(江坂~千里中央間)は会場線と同時に開業しましたが、当初は途中駅だった千里中央駅は、同年9月からは長らく北大阪急行線の終点として扱われてきました。2024年3月23日、北大阪急行の千里中央~箕面萱野間が開業。千里中央駅は、54年ぶりに再び途中駅となりました。

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