東海道新幹線。東京~名古屋~新大阪間を結ぶ世界初の高速鉄道路線で、今年で開業60周年を迎えます。
そんな同線ですが、一部区間において、開業前に「新幹線以外の」列車がお客さんを乗せて走った実績があることはご存知でしょうか。
新幹線の線路で初めて営業列車を走らせたのは、阪急電鉄。1963年4月~12月の約8か月間、上牧駅付近~大山崎駅付近の間で、京都線の電車が新幹線の線路を走りました。
東海道新幹線の建設時、京都~新大阪間のうち一部区間は、阪急京都線(上牧~大山崎間)の横に高架線を建設することが計画されていました。建設する高架線は、新幹線の高速走行に耐えられる頑丈なものである必要がありますが、ここで問題になったのは、この近辺の地盤の弱さでした。新幹線の高架を作ることで、当時地上を走っていた阪急の線路が沈下する危険があることがわかったのです。
「それはマズい」と思った当時の国鉄は、阪急と協議。結果、阪急もこの区間を高架線に切り替えることで、地盤沈下を避けることになりました。これにあたり、阪急は地上にある既存の線路の真上に高架を作ることを計画。では、どのように線路を移設するべきか。
線路そのものをいじる以上、その切り替え工事の期間中は列車を走らせることができません。当時は地上線の上に新たな高架線を作る「直上高架方式」の技術もなく、仮線を作って線路を切り替える必要がありました。そこで考えられたのが、
- 新幹線の線路を作る
- 完成した新幹線の線路を、阪急が仮線として使う
- 地上にある阪急の旧線を廃止し、その上に阪急の新線を高架で作る
- 阪急は新線の完成後、そちらに移る
というフロー。新幹線の線路を使うことで、阪急が独自に仮線を作る手間と阪急線の運休を避けることにしたのです。阪急、新幹線とも、線路の幅(軌間)は同じ1435ミリ(標準軌)。阪急が新幹線の線路を走るにあたり、軌間を変える必要がなかったことも、この手順に決める後押しになったのでしょう。ただし、列車が走るために使う電気の種類は、両者で異なっていました(阪急が直流、新幹線が交流)。そのため、新幹線の線路では、阪急車両が走れる電気設備を別途用意したのだとか。
線路の切り替え期間中、該当区間内にあった上牧、水無瀬、大山崎の3駅は、新幹線の線路上に仮駅が置かれました。その一部には、ホーム往来用の踏切も設けられ、のちに新幹線の線路となる場所を歩いて横断することもできたのだそうです。
ちなみに、新幹線の線路を走った阪急の車両は、初代の2300系の引退(2014年)をもって消滅しました。時間とともにその歴史を知る車両が減るのは必然ではありますが、線路切り替えの後、半世紀もその車両が現役で残ったことは、特筆すべきといえるでしょう。