昭和の高度成長期を中心に、かつて日本の主要都市には、多数の路面電車が走っていました。それは、関西の中心地、大阪も例外ではありません。現在は地下鉄が網の目のように走っている大阪ですが、かつては路面電車(市電)が、バスとともに市内の公共交通の一端を担っていました。
大阪市電は、1903年に開業。その最盛期は1940年代で、路線総延長は110キロ以上。北は守口、東は百済(現在のJR大和路線東部市場前駅付近)、西は天保山(大阪メトロ中央線大阪港駅付近)や桜島、南は出島(南海本線湊駅付近)と、大阪市を飛び出し、守口市や堺市といった近隣の街にも根を張っていました。昭和30年代に入ると、大阪市電は徐々に規模を縮小。1969年、その役目を終えました。
大阪市電の車両は、その廃止後も一部が解体を免れ、保存されています。保存車がもっとも多く集結しているのは、大阪メトロの緑木検車場に設けられた市電保存館ですが、通常は非公開。ですが、数は少ないものの、いまも気軽に会いに行ける市電車両があります。
そのひとつが、3012号車。大阪市住之江区の道端に置かれています。この地域に住んでいない人が偶然通りかかったら、「なんでこんなところに電車が!?」と驚くことでしょう。
3012号車は、1956年にデビューし、大阪市電の廃止まで運用された3001形という形式の1両。アメリカの高性能路面電車車両「PCCカー」に倣った「和製PCCカー」としても知られています。3012号車は市電の廃止後、大阪府富田林市内の幼稚園に移り、園内の図書室として使用されていたそうです。しかし2019年、幼稚園の移転とともに3012号車は「卒園」し、大阪市に戻ってきたのだとか。長らく大阪市を離れていた3012号車にとって、久々の「里帰り」となりました。
現在の3012号車は、線路にこそ乗せられているものの、屋根上の機器類は取り払われた「鉄の箱」状態です。側面部分にはLEDの電灯がついており、季節や時間帯によってはライトアップされることもある模様。図書室だった3012号車は、里帰りによって「ライトアップのモニュメント」へと転身したようです。
このほか、同じ住之江区内の幼稚園に3001形3044号車、守口市に2601形2665号車(色は現役時代と変わっています)など、複数の車両が残されているほか、遠く離れた広島県の広島電鉄では、いまも3両の大阪市電車両が現役で走っています。うち2両は、上半身ベージュ、下半身ブラウンという、戦後の大阪市電の車両を模した塗装になっており、往年に近い姿を見ることができる貴重な存在となっています。