ある路線に新しい車両を投入した際、それまで使用していた古い車両は余剰となります。規模が大きな会社では、置き換えられた車両の寿命に余裕がある場合は、これを他の路線に転属させ、さらに古い車両を置き換えるといった措置を取ることがあります。
このような車両の転配は、「玉突き転属」などといいます。現代においては、たとえば名古屋地区の中央本線で活躍していた車両が静岡地区へ転属したり、あるいは山手線で活躍していた205系が宮城県の仙石線に転属した、といった例が見られます。
しかし、JRグループが発足する前、国鉄時代の転属は、現代よりもはるかに大規模でした。たとえば、京浜東北線を走っていた103系が大阪環状線に転属したり、向日町(京都)に配置されていた山陽本線特急用の181系が長野・新潟に転属したり、といった具合。いうなれば、車両の全国転勤です。
2024年現在、JR各社ではまだまだ現役の国鉄型車両が存在しますが、国鉄時代に全国転配を経験した車両の数は少なくなってきています。その数少ない例が、岡山地区で活躍しているJR西日本の115系。一部の編成には、国鉄末期に東京都の三鷹電車区から岡山に転属してきた車両が残存しています。三鷹時代は中央本線で活躍しており、東京都から長野県まで走っていました。
国鉄分割民営化によりJRグループが発足した後は、会社組織が地域別にわかれたため、かつてのように全国的に車両を(同じ会社内で)転配することはできなくなりました。しかし、金銭のやりとりが発生する「譲渡」という形であれば、その後も同様の動きが見られました。
たとえば、JR四国からJR九州に譲渡されたキハ185系、JR北海道からJR東日本に「SL銀河」用に譲渡されたキハ141系、JR東日本からJR九州に譲渡された415系などが挙げられます。また、面白い例が、JR九州のD&S列車「或る列車」。キハ40系を改造したこの車両は、2両ともJR四国からJR九州へ譲渡されたものですが、さらに1両は、国鉄時代に新潟から四国に転配された経歴も持っています。
ここ数年は、JR→地方私鉄の例こそありますが、JR間での車両譲渡の動きは見られなくなってしまいました。しかし、私鉄の話ではありますが、西武鉄道から小田急・東急の中古車両を「サステナ車両」として譲受するという、大手私鉄どうしの車両譲受という動きがあるように、古い車両を取り巻く状況は以前より少し変化しています。もしかしたら、日本列島を渡り歩く転配車両が、JRでもふたたび見られる……かもしれません。