人や物の輸送を担う特性上、多くの鉄道会社は、自社で車両を保有しています。しかし、なかには、自社車両が走らない時期や区間があるという事例も。今回は、そんなレアケースを見ていきましょう。
このケースでまず思い浮かぶのが、小田急箱根(箱根登山電車)の小田原~入生田間。現在、この区間の列車は、すべて小田急線の車両で運転されています。
登山電車の小田原~入生田~箱根湯本間は、1935年に開業。戦後になって、小田急線の車両が箱根湯本駅への乗り入れを開始しました。しかし、登山電車と小田急は、車体のサイズや最大の編成両数が異なり、その輸送力は列車によって大きな差がありました。
こうした事情もあってか、2000年以降は同区間を走る小田急車両の列車が増加。2006年には全列車が小田急の車両で運用されるようになり、自社の車両は一切入らなくなりました。なお、登山電車と小田急は線路の幅が異なるため、小田原~箱根湯本間はその両方に対応できる「三線軌条」となっていましたが、これも2006年に大部分を撤去。ただし、箱根湯本駅と登山電車の車庫がある入生田駅の間には三線軌条が残り、この区間では現在も登山電車車両の姿が見られます。
このほか、JRの一部の貨物線は、旅客会社の管轄でありながらJR貨物の車両しか走りません。これも、「自社車両が走らない区間」といえます。このケースでは、総武本線の貨物線、「新金線」と呼ばれる新小岩信号所~金町間などが該当しますが、近年は貨物線を巡るツアー企画もあり、自社車両が乗り入れてくることもあります。
また、過去には、営団地下鉄(現:東京メトロ)の半蔵門線と、西武鉄道の西武有楽町線で、自社車両が来ない時期がありました。
半蔵門線は1978年に渋谷~青山一丁目間が開業しましたが、その距離は2.7キロと短く、当時は自社の車両基地もありませんでした。このため、開業当時の半蔵門線は、渋谷駅を介して直通する東急線の車両だけで運転。1981年、営団が同線用の車両(8000系)を導入し、ようやく自社車両が走るようになりました。
西武有楽町線は、1983年に小竹向原~新桜台間が開業。当時の同線はほかの西武線と線路がつながっておらず、小竹向原駅で接続する営団地下鉄有楽町線の車両だけで運転されていました。1994年、西武有楽町線の新桜台~練馬間が延伸開業し、ようやく西武車両が入るようになりました。同線を自社車両が走るようになるまで、路線開業から10年以上の時間がかかっています。