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いまでは考えられない「危険な安全対策」も? 京都の電車黎明期物語

2024年10月13日(日) 鉄道コムスタッフ 井上拓己

1872年10月14日(旧暦の9月12日)、新橋~横浜間で、日本で初めての鉄道が開通しました。当時走った列車は、蒸気機関車が客車をけん引する形態。現在の都市部などに見られる、電車が走る形態は、後年に確立したものです。今回は、日本における「電車の発祥」を軽くご紹介いたします。

日本で初めて営業運転の電車が走ったのは、1895年2月の京都。民営の京都電気鉄道が、七条(現在のJR京都駅付近)と下油掛しもあぶらかけ(現在の京都市伏見区)を結んだのが最初とされています。専用の鉄道用地を走る新橋~横浜間(日本初の鉄道)とは異なり、既存の道路に線路を敷く、いわゆる路面電車の形態でした。この年は、京都の岡崎で「第4回内国勧業博覧会」が開催された年。日本初の電車は、この来場者を運ぶ手段としても活用されたといいます。

梅小路公園(京都市)で動態保存されている「日本初の電車」
梅小路公園(京都市)で動態保存されている「日本初の電車」

そんな黎明期の路面電車で特徴的だったのが、「告知人」(「先走り」とも)の存在。警報機などない時代、周囲の安全確保を目的に「必要に応じて電車の前を人力で走って危険を知らせる人」が、乗務員とは別にいたのです。告知人が安全確保に走ったとき、動いている電車の間は、おおむね5間(約9メートル)以内!当時の電車の速度は時速9.6キロほどと遅かったものの、告知人が転倒すれば事故につながりかねない、危険すぎる仕事でした。告知人は、「府令第六十七号電気鉄道取締規制」という決まりに則って置かれたものですが、結局は車両側に安全対策の網を設置し、10年程度で告知人は廃止に。動く電車の前で人を走らせるという、いまでは到底考えられない「安全対策」でした。

京都電気鉄道は、1918年に京都市が買収。その後は京都市交通局の路面電車(京都市電)として運営されましたが、戦後になって自家用車やバスなどが増えると、市電は次第に邪魔者扱いされるようになります。結局、七条~下油掛間を含む伏見・稲荷線は1970年3月に廃止。その後も京都市電は路線規模の縮小が進み、1978年に全線が廃止されました。

路線としては姿を消した日本最初の電車ですが、沿線には複数の石碑があるなど、その面影は現在も残っています。また、京都電気鉄道時代の車両も複数が保存されており、とくに博物館明治村(愛知県犬山市)と梅小路公園(京都市)に保存されている車両(「狭軌I型」と呼ばれます)は線路上を走ることもできます。後者は現在、リチウムイオン電池を動力としているのが特徴です。また、さすがに京都電気鉄道時代のものではありませんが、広島電鉄と伊予鉄道(愛媛県松山市)には、京都市電の車両(前者は1900形、後者は2000形)が譲渡され、現役で運用されています。

広島電鉄に残る、元・京都市電の車両(写真右側)。車体のカラーリングも、京都時代のままです
広島電鉄に残る、元・京都市電の車両(写真右側)。車体のカラーリングも、京都時代のままです

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