31年間続いた平成。鉄道車両の寿命が、新幹線では15年前後、一般形車両でも30年~40年と考えると、置き換えが早い事業者では、ちょうど世代が1巡する程度の年月でした。また、平成元年となる1989年の2年前、1987年には、国鉄が民営化し、JRグループが誕生しました。平成の31年間は、このJRグループ発足からの歩みともほぼ重なります。
平成と共に歩んだ、JRグループ発足当初から現代までの、あるいはJRグループの影響を受けた私鉄各社の車両たち。31年間に生まれ、そして一部は消えていった平成の車両をご紹介します。
JRグループ:新幹線
昭和から平成へと変わった頃の新幹線では、国鉄時代に設計された0系と100系、200系のみが運用されていました。1989年当時の営業列車での最高速度は、東北・上越新幹線で運用された200系の時速240キロと、200キロ台前半でした。
当時の東海道新幹線では、「ひかり」による東京~新大阪間の所要時間が最速列車でも約2時間50分と、1980年代より力を付けてきた航空機に対して競争力が高くありませんでした。そこでJR東海が開発したのが300系。営業運転速度は時速270キロと大幅に向上しました。この300系を充当し、1992年に運行開始した「のぞみ」は、東京~新大阪間の所要時間を最速2時間30分へと、約20分の時間短縮を実現しました。ついで、1997年には500系がデビュー。営業最高時速を300キロへ向上しました。1999年にデビューした700系を経て、2019年現在はN700系シリーズが全盛。東京~新大阪間を最速2時間22分で結んでいます。
一方の東北・上越新幹線では、速度向上は既存車両の改造から始まりました。1990年に、200系の改造編成を使用して、上越新幹線で最高時速275キロでの営業運転を開始。下り列車限定など条件付きながらも、1997年の500系デビューまでは日本最速列車となっていました。本格的な速度向上は、1997年にデビューしたE2系から。同年のダイヤ改正より、東北新幹線の「やまびこ」で時速275キロ運転が始まりました。2011年に導入されたE5系では営業運転速度を時速320キロへと大幅に向上し、2019年現在は「はやぶさ」が東京~新函館北斗間を最速3時間58分で結んでいます。
JR東日本の新幹線では、速度向上以外にも様々な取り組みが進められました。同社が発足後に初めて導入した新幹線車両は、1990年落成の400系。速度向上を目的とした車両ではなく、在来線への直通用として開発したものでした。ついで1994年に投入したのは、オール2階建て車両のE1系「MAX」。新幹線通勤などの需要の高まりに応じて開発した形式で、1997年には分割併合に対応したE4系も導入しています。2階建て新幹線は終焉を迎えつつあるものの、400系から始まった新在直通運転は現在も継続中。400系が活躍した山形新幹線はE3系が、1997年に開業した秋田新幹線は時速320キロ運転が可能なE6系が、それぞれ運用されています。
JRグループ:在来線
在来線では、平成元年となる1989年前後に、JR化後の第1世代となる車両が続々誕生していました。1987年に分割民営化により発足したJR各社が、それぞれ独自の車両開発を始め、その成果が生まれ始めた頃です。
1989年には、JR東海・西日本・九州が、転換クロスシートを有する3扉一般型車両として、311系、221系、811系をそれぞれ導入しました。地方での普通列車増発に踏み切るなど、一般の近距離利用客にも配慮した流れが生まれていた国鉄末期からJR初期。これら3形式もその流れを踏襲するもので、各形式とも快速系列車に投入され、速達性や快適性の向上に寄与しました。
これら3形式や、651系、783系など、JR初期に導入された新型車両は、各社独自のコンセプトに205系などを基とする既存技術を組み合わせたものがほとんどでした。新世代の車両技術が導入され始めたのは1989年頃のこと。JR東海はアメリカから輸入したエンジンを搭載したキハ85系を開発。国内だけでなく海外メーカーの機器を導入したことは、国鉄・JRでは画期的でした。また、JR四国では日本初の振り子式ディーゼル特急型車両、2000系を導入。カーブでも高速で走れる振り子式車両を非電化区間にも導入することで、四国管内の所要時間短縮に貢献しました。
電車でも、JR東日本が1992年に901系を導入。新世代コンセプトの試験車両である同車は、モジュール化した内装や、交流電動機、モニタ装置といった新しい技術を備えた、これまでとは異なる意欲的な設計の車両でした。この901系の試験結果を基に量産化された209系は、以降のJR東日本一般型車両に繋がる系譜を築いています。
波動用・団体用車両は、平成の約30年において大きな変化がありました。国鉄末期から平成初期にかけては、いわゆる「ジョイフルトレイン」が特別な車両として人気を博していました。しかし、大口団体旅行から個人旅行への旅行者の好みの変化などにより、これらは「リゾートしらかみ」「伊予灘ものがたり」のような定期的に運行される観光列車をのぞき、ほぼ壊滅状態にあります。平成初期には「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」といった豪華寝台特急列車も運転されていましたが、車両の老朽化や新幹線の開業により、次々と鉄路の上から去っていきました。現在では、定期寝台列車自体が風前の灯です。一方で、高価格帯を志向する旅行客が増えたこともあり、平成の後半には、一点物の豪華列車が次々と登場しました。2013年にデビューした「ななつ星in九州」を皮切りに、JR東日本は「TRAIN SUITE 四季島」を、JR西日本は「TWILIGHT EXPRESS 瑞風」を、それぞれ2017年に導入しています。
民営鉄道
私鉄では、分割民営化という起爆剤があったJRグループとは異なり、劇的な変化は発生しづらい状況でした。しかしながら、競合するJR路線に対し、新型車両を導入して対抗した会社もあります。
京成電鉄では1990年、成田空港ターミナルビル直下への乗り入れを前に、空港連絡特急「スカイライナー」用にAE100形を導入。翌1991年には成田空港駅が開業し、JRが運行する成田エクスプレスとの競合関係が始まっています。JR九州と競合する西日本鉄道においても、鹿児島本線への対策として、1989年に8000形を導入しました。JR西日本の新快速と対抗する京阪電気鉄道では、所要時間ではJRとは勝負にならないため、1995年に特急用車両の旧3000系へ2階建て車両を導入。車両自体の設備向上という手段に打って出ました。この2階建て車両は後に8000系にも連結されたほか、2017年には上位クラス「プレミアムカー」を設定。高品位な客室設備を提供することで、京阪間での競合路線に対抗しています。
これら私鉄独自の車両が目立つ一方で、JRが作ったトレンドの波を受け、多かれ少なかれそのコンセプトを取り入れてきた面も見られます。
鉄道車両メーカーなどが会員として名を連ねる日本鉄道車輌工業会は、2003年に「通勤・近郊電車の標準仕様ガイドライン」を制定しました。これに先立つ2002年には、東京急行電鉄が5000系を導入。同形式はE231系などと共通の部品を使用することで、コスト削減を狙っています。この流れは他社にも広がっており、小田急電鉄の3000系や、京王電鉄の9000系は、製造途中でこのガイドラインを取り入れた設計へと変更しました。極めつけは相模鉄道で、10000系はE231系、11000系はE233系をほぼ踏襲。デザインのほか、保安装置などの独自装備品以外は、JR車に近い姿で登場しました。
地方私鉄においては、大手私鉄以上に標準化が進んでいました。昭和末期に富士重工(現:SUBARU)が開発したLE-Car・LE-DCシリーズや、新潟鐵工所によるNDCシリーズといった車両群は、車両規格を統一することでコストを削減。経営の厳しい第三セクター路線の近代化に寄与しました。
平成の車両を振り返ると、バブル経済の勢いが残る平成初期には、東武100系のような豪華さを極めたフラッグシップ車両や、キハ281系、新幹線400系のような意欲的な車両が次々と誕生していました。バブル崩壊後も各社の新車導入は続きますが、特急型、一般型ともに汎用的、あるいは標準仕様を採用した車両が目立つようになります。しかし平成末期になると、極端なまでの画一化は、少なくとも大手私鉄からは鳴りを潜めます。相模鉄道の12000系のような、標準型車両ながらも自社のアイデンティティを押し出した車両コンセプトが、各社に広まりつつあります。