日本の鉄道の安全性・正確性を知ってもらう
「ワンノッチ、OK、キープユアノッチ、ネクストブレーキング、ワン、ツー、スリー……グレイト!」
相模鉄道の指導運転士が、英語でアメリカの少年に電車の運転を指導しています。
ここは、神奈川県海老名市の厚木操車場。6月19日、相模鉄道はアメリカ・ニューヨークからのツアー客46名を招き、本物の電車を運転する電車運転体験会、「インバウンドツアー相模鉄道職業体験会」を開催しました。
このイベントは、世界最大級の語学学校、EF Education First社の日本体験ツアーの一環として企画されました。日本文化に憧れ、将来留学を希望する10代の青少年を主な対象とし、約10日間にわたって東京、箱根、京都、広島など日本各地を見て回ります。昨年3月から相鉄グループも協力する形で、高島屋での和服着付け体験や焼き鳥屋での調理体験など、横浜駅西口周辺でさまざまな職業体験プログラムを実施してきました。
そうした中で、この6月に初めて実施されたのが、相模鉄道自体の体験プログラムです。今年11月に、JRへの直通運転開始によって念願の都心乗り入れを果たす相模鉄道にとっては、増加する訪日外国人への認知度向上を図るチャンス。また、社内教育の一環として、実際に社員が訪日外国人観光客と接する場を設けるという目的もあります。6月6日には、横浜駅構内でホーム合図や構内放送の職業体験が行われました。
今回の運転体験会は、さらに一歩進めたもので、日本の鉄道システムの安全性、正確性を外国の方に知ってもらおうと企画されたもの。当初は訓練施設でシミュレーターを使った体験を想定していましたが、参加者数が多く施設での受け入れが難しかったことから、本物の電車を使った運転体験を実施することになりました。相鉄は過去2回、鉄道ファンを対象にした運転体験会を開催しており、ノウハウがあったのです。
操車場内の約200mを実際に運転
46名の参加者は、事前に「運転体験チーム」と「車掌体験チーム」に分けられ、2本の電車に乗り込みました。運転体験チームが乗車したのは、架線検測や救援などに使用される事業用車、モヤ700形。前後の運転台に10人程度ずつが分かれて立ち、操車場内約200mのコースを、片道ずつ交互に運転します。運転席には、参加者のほか、相模鉄道調査役の蛯原信也氏と指導運転士が付き、英語による運転説明が行われました。
今、運転を体験しているのは15歳のマシューくん。日本のテクノロジーに興味があり、今回の参加者の中では、日本の鉄道について最も詳しい少年です。そんな彼も、電車の運転方法は全く知りません。マスターコントロラーを握り、ノッチ(アクセル)を1に入れて電車がガクンと動き出すと、急に真剣な表情になりました。指導運転士が上から手を添えていますが、操作するのはマシューくん本人です。
まずは100m先の目標に停止させ、もう一度発車して、ゴール地点へ。時速20kmでブレーキハンドルを操作し、無事停止目標に停止しました。運転時間は、約1分40秒。
「すごく面白かった。でも、アクセルとブレーキのタイミングが思ったよりも難しかったです。形だけじゃなくて、本当に自分で操作できたので驚きました」
少し興奮した様子で語るマシューくんは、日本でいえば高校1年生。将来日本に留学してみたいそうです。もちろん、車やバイクの免許証は持っておらず、生まれて初めて運転した乗りものが、日本の電車、それも事業車のモヤ700形という珍しい体験となりました。
「日本については、テクノロジーだけでなく、お寺や神社のような宗教文化にも興味があります。東京の中心はニューヨークと変わらないけど、少し郊外に出るとアメリカとは全然風景が違うんですね。今回の旅では、新幹線に乗って京都に行くのが楽しみです」
一方、モヤ700形の隣では、8000系電車を使った車掌体験が行われています。こちらはドア開閉と、車内放送の体験が基本。ドア開閉体験では、ただ車掌スイッチを操作するだけでなく、安全の確認方法も指導を受けます。参加者たちは、ドアに物が挟まって、1mmでも隙間が空いていると発車できないと聞いて、日本の厳しい安全基準に驚いていました。
ユニークだったのは、車内放送体験です。ニューヨークから着た参加者たちは、もちろん日本の電車の車内放送を知りません。一通り放送業務を体験した後は、車内放送を使っての自己PRタイムとなりました。中には、クイーンの歌を歌い出す人もいて、「自分の歌が電車に流れるなんて、信じられない」と大喜び。日本の鉄道ファン向けの体験会とは趣の異なるイベントとなりました。
国内向けイベントとは異なる課題も
体験イベントは2時間ほどで終了し、一行はバスに乗って次の目的地へ移動していきました。今回のイベントについて、担当者である和田潤一郎駅務サービス課長は、「とても良い経験になりました。英語によるご案内を用意したのですが、実際に運転体験をやってみると、なかなかうまく伝えることができませんでした。言葉の壁という、国民全体の課題を改めて体感しました」と、率直な感想を語りました。
日本人であれば、体験イベントに参加する人はある程度電車の仕組みを知っています。しかし、今回のようなインバウンドツアーでは、電車の仕組みを全く知らない人が多く、細かい運転操作を英語で伝えることが困難だったそうです。「輸送障害が発生した時なども、外国人のお客様に丁寧にご案内する必要があります。細かい状況を外国語で伝えることの難しさを認識できました」(和田氏)
イベントからは、もう一つ課題も見えました。若い参加者たちは、珍しい電車の運転や車掌業務を体験できて大喜びでしたが、一部付き添いの親御さんたちが、電車の中で時間を持て余してしまったのです。鉄道自体に興味のない外国人の方にも、楽しんでもらえるアイディアが必要なのかもしれません。
「課題も見えましたが、当社はコンパクトな規模で、家族的な雰囲気のあるところが強み。今後も日本を訪れるお客様に対して、規模の大きな会社では難しい、手厚く機動力のある取り組みをしていきたいです」 和田氏はこのように語り、持続的な取り組みへの意気込みを語りました。