伊豆急行が開業時に導入した100系。この形式で最後まで営業用車両として活躍していたクモハ103号車が、7月7日にラストランを迎えました。一度引退しながらも復活し、2度目の引退を迎えたクモハ103。その最終日の模様を、伊豆急行線や100系の歴史を交えつつご紹介します。
100系50年の軌跡
1961年に開業した伊豆急行線。同線の開業と同時に導入されたのが100系です。「オーシャングリーン」と「ハワイアンブルー」という南国らしい塗装で登場し、車内も一部を除いて向かい合わせのボックスシート配置と、観光を意識した車両として登場しました。
開業当初は22両という小所帯でスタートしたものの、両運転台のクモハ100形や、1等車(現在のグリーン車)と2等車(現在の普通車)の合造車であるサロハ180形など、ローカル利用から観光利用までをカバーできるさまざまな形態を持って製造されました。また増備車や改造車として、高運転台仕様の車両や、車体更新車1000系、私鉄唯一の食堂車だったサシ191「スコールカー」などが登場。総数53両ながら、かなりのバリエーションを持っていました。
さらに伊豆急行は、1985年に2100系「リゾート21」を導入。マイカー利用者に対して100系では訴求力が弱いことを解決すべく、「海の景色を見るのに『海を向いた座席』があって何がおかしいのか」「ドイツ車BMW並のゆったりシートの採用で定員が減ったってかまわない」などのコンセプトの下に、斬新なデザインで計5本が製造されました。
一方、100系でも特別仕様のグリーン車、サロ1801「ロイヤルボックス」を1987年に改造により投入。窓側に向きを固定できる座席など、車内設備の豪華さが好評を博し、リゾート21の各編成にもさらに進化した内装で導入されました。ちなみに、リゾート21の最初の2本は、足回り機器を100系から流用しており、実質的な100系の車体更新車とも言えそうです。
そんな100系も、登場から40年ほどが経過し老朽化には勝てず、2000年からは置き換えが開始。2002年をもって、車体更新車の1000系を含む、全ての100系が現役を退きました。車両もほとんどが解体されてしまいましたが、クモハ101が製造元の東急車輌製造にて保存されたほか、クモハ103が両運転台の特徴を活かし、車両基地の入換用車両として残されました。
そして、引退から約10年ほどが経過した2011年。伊豆急行は開業50周年企画として、100系クモハ103を復活させることを発表しました。約40年にわたる現役生活に加え、海に近い伊豆高原の車両基地に留置されていたため、車両はかなりの傷みが見られたようです。しかし伊豆急行は、3か月ほどかけてこれを修繕。同年11月にイベント用車両としての復活を遂げました。
復活後のクモハ103は、当初は南伊東~伊豆急下田間でイベント列車や貸切列車、テレビなどの撮影用列車として活躍。冷房を搭載していないため夏の営業は不可能でしたが、レトロな車両として人気を博していました。しかし運用可能な区間は伊豆高原~伊豆急下田間へ、さらには片瀬白田~伊豆急下田間へと、だんだんと縮小されていきました。
運用可能区間が短縮されたのは、保安装置「ATS」の問題。伊豆急行線では1969年に国鉄のATS-S形を基にしたATS(IK形-ATS)を導入しており、100系もこれに対応した機器(当初はATS-S形の同等品、現在はATS-SI形)を搭載していました。しかし100系引退後、まずは直通先であるJR伊東線が、新型のATS-P形を導入。伊豆急行線でも保安度向上のために伊東~伊豆高原間、伊豆高原~伊豆熱川間と順次ATS-Pを導入していきました。100系もこれに対応すれば引き続き運用が可能だったのですが、伊豆急行によると「費用面やスペースの問題で新型ATSを設置することは難しい」といい、100系への設置は見送られていました。
また、保安装置の問題に加え、自動車の車検に相当する全般検査の期限が2019年夏に迫っていました。このタイミングにおいて、伊豆急行はクモハ103の2度目の営業運転を終えることを決定。1月から引退記念イベントを展開し、最後の営業運転となるラストランツアーを7月7日に開催しました。伊豆急行によると100系の今後については未定だといいますが、保安装置の問題や老朽化の進行などにより、さらなる復活は難しいようです。
そして二度目の引退へ
7月7日の朝、クモハ103は伊豆急下田駅の1番線に停車していました。当日4回の臨時運転の前に、ツアーの当選者以外にも車内外を見てもらいたいという伊豆急の粋な計らいです。集まっていたのはその多くが鉄道ファンでしたが、地元の方や観光客といった、鉄道ファンではなさそうな人もちらほら。整理券制で1グループ7分前後という短い見学時間でしたが、参加者は皆思い思いに100系を眺めていました。
そして10時42分、第1便となるAコースが伊豆急下田駅を出発。伊豆急下田駅から片瀬白田駅へ上り、折り返して伊豆稲取駅の貨物線へ。再び片瀬白田駅へ上り、伊豆急下田駅へ折り返すという、クモハ103のツアー・貸切運転では定番となっていたコースです。
クモハ103は、まずは一直線に片瀬白田駅へ。ホームから海が望めるスポットとして、テレビドラマやCMなどの撮影にも多用されるこの駅。一つ隣の伊豆熱川駅構内は既にATS-Pが導入されているため、クモハ103が営業運転で入線できるのはこの地までです。折り返しと時間調整のため、クモハ103はここでドアを開けてしばし休憩。残念ながら雨がちらつく天気ではありましたが、ツアー参加者を始めとするファンは、思い思いにクモハ103を撮影していました。
その後、クモハ103は進行方向を変えて一駅走行し、伊豆稲取駅の稲取貨物線に入線。この稲取貨物線は、貨物線とはいっても長い距離のある専用線のようなものではなく、見た目はただの側線。かつて伊豆急行が貨物も取り扱っていた時代、貨車に荷物を積載していた線路の名残りなのです。ちなみに、伊豆急行は1963年に貨物用機関車を導入していますが、開業直後は100系が貨物列車のけん引を担当することもありました。
現在は大部分が保守用車の留置場所となっていますが、100系復活時にわずかな区間がイベント用に整備されています。その短い距離の貨物線へ、クモハ103はそろそろと入線。同駅で折り返しに向けしばし待機しました。
稲取貨物線で10分ほど待機した後、クモハ103は再び片瀬白田駅へ。そして再度折り返し、12時28分に伊豆急下田駅に到着。約2時間弱の旅でした。クモハ103は、7日はこのコースを3回、さらに、稲取貨物線に入線しない代わりに伊豆急下田駅で撮影会を開催するBコースを含め、計4回の運転をこなしました。
この日の主役、クモハ103の運転を担当した経験のある乗務員は、「2002年以前の現役時代は知らない」と断りつつも、「100系は癖がなく運転しやすい車両でした」と話していました。「加速はとてもよく、ブレーキも雨が降らなければとても効く。伊豆急の車両の中ではどちらも一番の性能」だったといいます。一方で、「夏場は冷房がなく、冬場も運転室の暖房器具が少ないため、夏は暑くて冬は寒い車両でした。昔の人はよく日常的に運転していたと思います」と、古い車両ゆえに苦労した思い出話も教えてくれました。
また、ラストラン列車の撮影をしていたファンの一人は、この100系が幼い頃に家族旅行で乗った思い出の車両だったとのこと。「復活の知らせを聞いたときは本当に喜びました。最近は『先は長くないだろう』と思っていましたが、こうして二度目の引退を迎えてしまい、とても寂しい」と話していました。
ファンや伊豆急行の社員など、さまざまな思いを載せたクモハ103のラストランツアー、その最後となるDコースは、伊豆急下田駅を17時37分に出発。伊豆急下田~片瀬白田~稲取貨物線~片瀬白田~伊豆急下田という定番のコースをたどり、薄暗くなった19時08分に、伊豆急下田駅の1番線へと入線しました。
伊豆急行線の終点、伊豆急下田駅。そのホームの端には、かつて伊豆急行線を駆けた伊豆急100系の車輪が、伊豆急行の社是「伊豆とともに生きる」の通り、今も保存されています。