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姪浜駅のキロポストに隠された秘密 実際のキロ程と食い違う理由とは

2019年7月19日(金) フォトライター 栗原景

実際のキロ程と食い違う不思議な距離標

線路脇にある、さまざまな鉄道標識。数字や記号が書かれただけの、一見無機質な標識ですが、少し観察すると、そこから鉄道の歴史が見えてくることがあります。

福岡県の姪浜駅は、JR九州筑肥線の始発駅。福岡市営地下鉄空港線と相互直通運転を行っており、福岡空港駅や博多駅から電車が乗り入れています。

福岡市営地下鉄空港線とJR筑肥線の接点となっている姪浜駅。両路線とも、当駅を始発駅としています
福岡市営地下鉄空港線とJR筑肥線の接点となっている姪浜駅。両路線とも、当駅を始発駅としています

その姪浜駅4番ホームの唐津寄りに、「12 1/2」と書かれた標識があります。これは、距離標(キロポスト)といって、起点からのキロ程を表す標識。「12 1/2」は、起点から12.5kmの地点であることを示しています。ホームの中ほどには「4」と書かれた標識もあり、こちらは起点から12.4kmという意味です。

姪浜駅4番乗り場にある12.5kmの距離標(右下)。しかし、この駅は福岡空港駅から13.1km、博多駅からは9.8kmの地点にあります
姪浜駅4番乗り場にある12.5kmの距離標(右下)。しかし、この駅は福岡空港駅から13.1km、博多駅からは9.8kmの地点にあります

でも、おかしいですね。姪浜駅は、筑肥線の始発駅のはず。通常、路線の始発駅には「0」と書かれたゼロキロポストが設置されますが、姪浜駅にはどこにもゼロキロポストがありません。

地下鉄からの距離でしょうか。しかし、地下鉄の始発駅(正確には終着駅)である福岡空港駅からの距離は13.1kmなので、これも違います。12.5kmとは、どの駅からの距離なのでしょうか。

これには、筑肥線の歴史が深く関わっています。筑肥線は、もともと1935(昭和10)年までに博多〜伊万里間で開業した北九州鉄道がルーツ。1937(昭和12)年に国鉄に買収され、国鉄筑肥線となりました。

筑肥線が大きく変わったのは、1983(昭和58)年のことです。福岡市営地下鉄博多〜姪浜間が開業し、同時に筑肥線が電化されて相互直通運転がスタートしました。同時に、地下鉄と重複する筑肥線博多〜鳥飼〜姪浜間が廃止され、筑肥線の起点が博多駅から姪浜駅に変更されました。

もうおわかりですね。姪浜駅にある12.4km、12.5kmの距離標は、国鉄時代の博多駅からの距離を示しているようです。筑肥線が博多起点だった時代の時刻表、1980(昭和55)年10月号で確認してみましょう。筑肥線姪浜駅の欄には……おや? 11.7kmと書かれています。まだ700mも食い違っているのは、なぜでしょうか。

56年前のキロ程を今も使っている筑肥線

実は、これにはもうひとつ、博多駅の歴史も関係しています。現在の博多駅は、1963(昭和38)年12月に移転したもので、それ以前は、現在の駅よりも約400m北西、現在の出来町公園付近にありました。

1961(昭和36)年5月9日に撮影された旧博多駅の空中写真。すでに現在の博多駅の建設が始まっていることがわかります(出典:国土地理院)
1961(昭和36)年5月9日に撮影された旧博多駅の空中写真。すでに現在の博多駅の建設が始まっていることがわかります(出典:国土地理院)

この移転に際してキロ程が見直され、筑肥線は700m短縮されたのです。博多駅が移転する前、1961(昭和36)年10月の時刻表を見ると、姪浜駅のキロ程は博多駅から12.4km。現地の距離標と一致しました。姪浜駅の距離標は、1963年以前の博多駅からの距離を示しているのです。

福岡市内の出来町公園には、旧博多駅の記念碑があります。隣には九州鉄道発祥の地の碑もあります
福岡市内の出来町公園には、旧博多駅の記念碑があります。隣には九州鉄道発祥の地の碑もあります
博多駅屋上のつばめの杜広場には、旧博多駅のホームに使われていた柱が保存・展示されています
博多駅屋上のつばめの杜広場には、旧博多駅のホームに使われていた柱が保存・展示されています

姪浜駅は、地下鉄との相互直通運転開始に合わせて、1983年に高架化されています。現在のホームはこの時建設されたものですが、わざわざ22年前に移転した駅からの距離標を改めて設置しているのも興味深いところです。これは、筑肥線が全線にわたって移転前の博多駅からの営業キロを表示しているため。姪浜駅にゼロキロポストを設置すると、全線の距離標を設置し直さなくてはならず、手間とコストがかかるのです。厳密には、正確ではない距離を示していることになりますが、距離標は職員が路線の中での位置を把握できれば良いので、これで事足りるのです。

同線の虹ノ松原〜唐津間は、1983年の電化時に移設された区間ですが、ユニークなことにやはり旧博多駅からのキロ程が表示されています。電化にあわせて開業した和多田駅には旧博多駅から53.5kmの距離標がありますが、この駅に旧博多駅から列車が走ったことは一度もありません。

区間の改廃を重ねた筑肥線ですが、距離標はすべて旧博多駅起点のものを今も使用しています。右下の標識は、非電化区間の駒鳴駅東方にある旧博多起点71.3kmの距離標です
区間の改廃を重ねた筑肥線ですが、距離標はすべて旧博多駅起点のものを今も使用しています。右下の標識は、非電化区間の駒鳴駅東方にある旧博多起点71.3kmの距離標です

ゼロキロポストに隠された鉄道史

こうした、距離標と実際の路線が食い違う例は全国にあります。例えば西武新宿線の始発駅は西武新宿駅ですが、ゼロキロポストは高田馬場駅にあります。これは、新宿線がもともと高田馬場駅を起点とする村山線として開業した名残。新宿線の前身である旧西武鉄道は、早稲田方面への乗り入れを計画していましたが、山手線内には私鉄の乗り入れを認めないとする東京市の方針もあり、戦後になって西武新宿駅へ延伸することになりました。

西武新宿線高田馬場駅にあるゼロキロポスト(左下)
西武新宿線高田馬場駅にあるゼロキロポスト(左下)

また、東武東上線のゼロキロポストは、池袋駅から2.2km離れた、下板橋〜大山間の留置線上にあります。東武東上線のルーツである東上鉄道は、大塚駅の南側周辺に起点駅を置く計画でしたが、暫定的に池袋駅に乗り入れることになり、池袋〜下板橋間のみ、軽便鉄道として免許を取得しました。このため、普通鉄道として免許を受けた下板橋にゼロキロポストが置かれています。

東武東上線下板橋付近にあるゼロキロポスト(編成最後尾付近)。手前にマイナス0.1kmの距離標が見えます
東武東上線下板橋付近にあるゼロキロポスト(編成最後尾付近)。手前にマイナス0.1kmの距離標が見えます

路線の変化に合わせて、距離標を設置し直した路線もあります。1997(平成9)年に、JR信越本線から移管されたしなの鉄道線は、軽井沢〜篠ノ井間65.1kmの距離標を、JR時代の高崎起点から軽井沢起点に設置し直しています。一方、2015(平成27)年に移管した同鉄道北しなの線(長野〜妙高高原間)は、高崎起点の距離標をそのまま使っています。労力とコストの割に、得られるメリットが少いと判断したのかもしれません。

しなの鉄道軽井沢駅。右側に、軽井沢起点0.1kmの距離標が見えます。これは、1997年のしなの鉄道発足に際して設置されたものです
しなの鉄道軽井沢駅。右側に、軽井沢起点0.1kmの距離標が見えます。これは、1997年のしなの鉄道発足に際して設置されたものです

無機質な距離標には、その鉄道の歴史が詰まっています。列車に乗ったら、ちょっと目を凝らして距離標を観察してみてはいかがですか。

 

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