2月29日と3月1日の2日間、東京〜新大阪間で運行されたありがとう700系ツアー専用団体列車をもって、1999年から21年にわたって東海道新幹線で活躍してきた16両編成の700系は、東海道新幹線での営業運転を終了しました。
当初は、3月8日に最終運転とさよならセレモニーを行う予定でしたが、多くの方がご存知の通り、新型コロナウイルス対策の影響により中止となりました。
3月11日からは、ツアーに使用された編成が浜松工場へ解体のために回送されており、これで700系は東海道新幹線から完全に引退しました。
筆者(フォトライター・栗原景)は、旅と鉄道を主なテーマに執筆活動を行いながら、東海道新幹線の車窓風景の観察を続けてきました。そんな筆者の立場から、700系をもう一度ふり返ってみたいと思います。
乗り心地向上のための新技術が投入された700系
700系ほど、登場当時の評価が分かれた車両はありません。普段から新幹線を利用するビジネスマンなどからは、大変好評を持って迎えられた一方、レールファンなど趣味的な視点を持つ人からは、かなりネガティブな評価を受けてしまったのです。
700系は、1999年3月に営業運転を開始しました。JR東海とJR西日本が初めて共同開発した車両で、最初に投入されたのはJR東海所属のC編成。一般の乗客に好評だった理由は、なんといってもその乗り心地でした。
初代「のぞみ」型車両だった300系は、徹底した軽量化と低重心化によって時速270kmを達成しましたが、乗り心地を良くする新技術は、それほど投入されていませんでした。先頭部が切り裂いた空気は乱気流となって軽量の車体を大きく揺らし、乗り心地を損ねたのです。
700系は、前方からぶつかった空気をやや平たいノーズが受け止め、車体の上部と左右へ無理なく流す形状をしています。「カモノハシノーズ」の愛称で知られたこの先頭部はエアロストリーム形状といい、特に16両編成の最後尾付近の揺れを劇的に低減しました。
また、揺れが大きくなりがちな先頭車とパンタグラフ搭載車、それにグリーン車には、左右の揺れを打ち消す装置(ダンパ)の動きが実際の揺れに合わせて変わるセミアクティブ制振制御システムを初搭載。車両同士が押し合う揺れを抑える車体間ダンパや、省エネルギーかつ低騒音のIGBT素子VVVFインバータなど、快適性を向上する数々の技術が投入されました。
レールファンの興味は500系に
一方、レールファンをはじめとする趣味的な立場の人からは、正直に言って700系は評判がよくありませんでした。今では「カモノハシノーズ」と親しまれているスタイルが、当時は「格好悪い」と捉えられたのです。また、座席配置が先代の300系と全く同じで、先頭部以外、先代の300系とほとんど変わらない点も、「面白みに欠ける」と評されました。
当時は、JR西日本独自開発の500系が東海道新幹線に乗り入れるようになって1年半という時期で、そのシャープなスタイルと300km/hというスピード、そして「客室の広さを犠牲にしてでも300km/hを実現する」という山陽新幹線での意気込みに人気が集中していました。そんな中、どちらかというと愛嬌のあるスタイルで、中身は300系と同じ(ように見える)700系は、趣味的な視点では地味に見えました。
700系のスタイルに対する評価は、当時のメディアからも伝わってきます。700系をはじめ、数多くの新幹線車両のデザインに関わってきたインダストリアルデザイナーの福田哲夫氏は、雑誌のインタビューで先頭部デザインについて「多くの人は、かなり違和感を抱くようだ」と尋ねられ、次のように答えています。
「確かに、なかなか理解してもらえないことはあります。(中略)でも、あの形には確かな理由があるんです。音を消し、揺動を止めるという役割です。あれは翼なのです」(NIKKEI MECHANICAL 1999年5月号「挑戦の軌跡”カモノハシ”を生んだ職人デザイナー」)
東京〜博多間4時間57分でデビュー
1997年3月13日に運行を開始した700系は、当初東京〜博多間の「のぞみ」3往復に投入されました。東京〜博多間の所要時間は、4時間57分。山陽新幹線区間での最高時速が285km/hであるため、同300km/hだった500系の4時間49分よりも8分余計にかかりました。筆者も、この年の秋に初めて700系に乗車しましたが、多くのレールファンと同様、ちょっと地味な印象を持ったのを覚えています。
ただ、車内は300系の間接照明から直接照明になり、座席もグレー系からブルーに変わって、普通車の車内が明るくなったのが印象的でした。乗り心地も確かに良くなっていて、特に熱海や浜松などの曲線が多い区間で、揺れが少なくなっていることを実感したものです。趣味的な面白みには欠けるものの、着実にグレードアップした東海道新幹線の新しいスタンダード。それが、700系の印象でした。
700系はその後順調に増備され、2001(平成13)年からはJR西日本所属のB編成も投入されました。東京〜博多間の「のぞみ」は新横浜・新神戸に停車することになり、所要時間は最速5時間4分に。さらに2003(平成15)年には品川駅が開業し、5時間7分となりました。そして、2007(平成19)年7月に現在主流のN700系が登場し、700系はフラッグシップの座を降りることになります。
横長の客室窓を備えた最後の車両
最初は”格好いい”500系に心を奪われていた筆者が700系に注目するようになったのは、300系が引退した2012(平成24)年頃からです。
新幹線の車両は、軽量化と強度確保のため、世代を重ねるたびに客室窓が小さくなっていきました。700系普通車の窓は、300系に比べると小さくなったものの、航空機のように縦長のN700系よりはずっと大きく、車窓風景をゆったりと楽しむことができたのです。この頃になると、700系のスタイルに違和感を抱く人は少なくなり、女性などから「かわいい」という声も聞かれるようになりました。
ところが、時代はすでにN700系全盛。一部編成の、それも車端部の座席にしかコンセントを装備していない700系は、PCやスマートフォンを愛用する人々から避けられるようになってしまいます。やがて、「のぞみ」「ひかり」はN700系に統一され、700系は臨時「のぞみ」と「こだま」に活躍の場を移していきました。
700系「こだま」は、比較的空いている車内でのんびり車窓風景を楽しめ、「のぞみ」通過待ちを行う停車駅ではホームの売店で駅弁も購入できる、昔ながらの「汽車の旅」を楽しめる列車でした。筆者は2008年頃から、東海道新幹線の車窓風景を観察するようになりましたが、大阪に行くときは少しでも余裕があれば「こだま」を、それも700系を選んで乗るようになりました。
悩ましかったのは、乗降扉の窓です。車窓風景をカメラで撮影するときは、他の乗客の迷惑にならないよう、デッキで撮影することにしているのですが、700系は大半の車両が乗降扉の窓が低い位置にあり、中腰にならないと写真が撮れなかったのです。2001年夏以降に製造されたJR東海のC編成は、窓位置が高くなり、普通に立った状態で車窓風景を撮影できるようになりました。仕様が変更された理由はわかりませんが、駅で見送られる時に、お互いの顔が見づらいといった声があったのかもしれません。
現在の東海道新幹線のスタンダードを作った車両
登場から21年にわたり活躍してきた700系は、東海道新幹線からは引退しました。3月8日のラストランは中止されましたが、2月29日、3月1日のツアーはほぼ満席の大盛況。デビュー以来「カモノハシノーズ」という言葉を使ってこなかったJR東海も、引退に際して「カモノハシの愛称で親しまれた」と紹介するなど、700系独特の「カモノハシノーズ」に違和感を抱く人は、どこにもいませんでした。
700系の「先頭にぶつかった空気を無理なく編成後方に誘導する」というデザインや、アクティブ制振制御システムといったコンセプトは、今もN700Aや7月に登場するN700Sに受け継がれています。抜群の乗り心地を誇った台車は、先代である300系にも後から搭載されるなど、21世紀の東海道新幹線のスタンダードを作ったと言えるでしょう。
東海道新幹線は車窓風景がバラエティに富むだけに、窓の広い車両が引退してしまうのは少し残念ですが、まずは21年間、お疲れさまでした。なお、700系をベースに開発されたドクターイエロー923系と、山陽新幹線用の700系E編成は、春以降も引き続き活躍します。