1990年(平成2年)春の鉄道の動き。今回は、鶴見緑地線開業のほか、宮津線の移管、大社線の廃止について、その前後の写真をもとに紹介します。
3月20日、鶴見緑地線が開業
1990年には、「国際花と緑の博覧会」(花の万博)が大阪で開催されました。会期は4月1日から9月30日まで。会場の鶴見緑地へのアクセス線として、大阪市営地下鉄鶴見緑地線(当時)が整備され、会期前の3月20日に開業しました。当初の開業区間は、京橋~鶴見緑地間(5.2キロ)でした。
鶴見緑地線で採用されたのは、鉄輪式リニアモーターによる地下鉄車両。リニア式の鉄道車両が営業運転についたのは同線が日本初です。同様の地下鉄車両はその後、都営地下鉄大江戸線、福岡市営地下鉄七隈線、仙台市営地下鉄東西線などで導入されています。
鶴見緑地線は1996年12月に、京橋~心斎橋間が延伸開業し、名称も長堀鶴見緑地線に変更。1997年8月には、心斎橋~大正間、鶴見緑地~門真南間がともに開通し、全線開業を迎えました。
宮津線がJRから北近畿タンゴ鉄道へ
4月1日、宮津線(西舞鶴~豊岡間、83.6キロ)が、JR西日本から第三セクターの北近畿タンゴ鉄道に移管され、新たなスタートを切りました。
北近畿タンゴ鉄道は、宮津~福知山間の宮福線(30.4キロ)を有していましたが、宮津線の移管により同社の路線網が拡充。同年夏には、JR直通の臨時列車も多く設定され、特急「エーデル丹後号」(大阪~天橋立間など)、急行「丹後」81・82号(京都~久美浜間)などが運転されました。
その前年の夏、筆者は西舞鶴駅から豊岡駅まで、宮津線経由で移動しました。乗ったのはキハ58系。2時間余りの乗車でした。移管前最後の夏、青春18きっぷを使っての宮津線の旅でしたが、豊岡から先、鳥取方面に向かう列車の乗り換えがあわただしかったのをよく覚えています。当時はJR線どうしということもあって接続がよく、乗換時間4分でした。
2015年4月、北近畿タンゴ鉄道はWILLER TRAINS(京都丹後鉄道)に鉄道運行事業を移譲。WILLER TRAINSが第二種鉄道事業者、北近畿タンゴ鉄道が第三種鉄道事業者という形態に変わりました。北近畿タンゴ鉄道開業時からの車両は移譲後にリニューアルされ、活躍を続けています。
大社線が廃止に
1989年夏の旅では、大社線にも乗りました。翌年春に同線が廃止になることは承知していたので、乗り納めのつもりで、大社駅から出雲市駅まで乗車。月曜朝の7時台でしたが、通勤客の姿はなく、家族連れなどが少々といった感じでした。
大社線は、バス転換が望ましいとする特定地方交通線のうち、第3次廃止対象線区となったことから、廃止が決まった路線です。1990年3月31日をもって営業運転を終了し、翌4月1日付けで廃止となりました。兵庫県西脇市などを走っていた鍛冶屋線(野村~鍛冶屋間)も同じ日に廃止されました。
大社駅は、出雲大社の社殿を模した和風建築で、大社線現役当時から当地の名所の一つでした。大社線廃止後も駅舎は保存され、2004年には国の重要文化財に指定されています。