新宿線の抜本的改善を阻んだバブル崩壊
さて、(旧)西武鉄道は、堤康次郎が経営権を握った武蔵野鉄道によって終戦直後に買収され、1946(昭和21)年11月、現在の西武鉄道株式会社となります。
戦後の西武鉄道は、国鉄の中古電車を大量に購入するなどして迅速に輸送力を増強し、目覚ましい復興を遂げました。池袋線は、1969(昭和44)年に秩父線が開業すると、秩父観光へのアクセス路線となり、特急「レッドアロー」の運行が始まりました。一方新宿線も、国鉄中央線に近いこともあって沿線人口が急激に増え、特に1970年代以降通勤路線として急速に発展していったのです。
時代は下って1980年代、池袋線、新宿線の混雑率はピーク時間帯で190%を超え、開かずの踏切が大きな社会問題となっていました。池袋線は、1971(昭和46)年1月に桜台─石神井公園駅間の高架複々線化が都市計画決定されて以来、1987(昭和62)年の富士見台〜石神井公園間を皮切りに着々と高架複々線化が進められました。
1987年、新宿線にも、輸送力増強のための複々線化が計画されます。この計画は池袋線とは異なり、西武新宿駅から上石神井駅までの約12.8kmに新たに地下線を建設し、準急、急行などの優等列車をこちらに移すというものでした。西武新宿駅も高田馬場駅も地下化し、高田馬場〜上石神井間はノンストップ。既存の地上線は緩行線として残すものの、各駅停車のみになることから「開かずの踏切」問題を大きく改善できるとされました。1967(昭和42)年以降休止していた南大塚〜安比奈間の貨物線を復活させ、安比奈付近に車両基地を建設する計画も発表され、総事業費は1600億円と試算されました。
ところが、またしても新宿線を不運が襲います。バブル崩壊です。新宿線の複々線化計画は1993(平成5)年に東京都の都市計画として決定されましたが、その頃には新宿線の利用者は減少に転じていました。
さらに建設費を詳細に計算したところ、当初見込みの1.8倍に当たる2900億円かかることが明らかとなります。西武鉄道は、1995(平成7)年に新宿線複々線化事業の無期限延期を発表。事実上の計画撤回でした。その後、西武鉄道は経営をめぐる事件やグループ再編などが続き、新宿線の改良は大きく遅れることになりました。新宿線は、またしても社会情勢の変化から、ハンデを背負うことになったのです。
結局、この複々線化事業は長い間塩漬けにされた後、2019(平成31)年に正式に中止となりました。
ようやく動き出した連続立体交差化
新宿線の改善が本格化したのは、複々線化計画の凍結から16年後の2011(平成23)年8月のことです。今度は東京都が事業主体となって街づくりの一環として行われるもので、中井〜野方間約2.4kmが地下線化されることが決定、2013(平成25)年4月に正式に認可されました。これは踏切の解消が主な目的で複々線化は行われませんが、完成すれば同区間の7つの踏切が除却されます。
また、東村山駅周辺の約4.5kmについても、高架線による連続立体交差化事業が2013年12月に認可され、共に工事に着手しました。
井荻〜西武柳沢間約5.1kmと野方〜井荻間約3.1kmについても、連続立体交差化が検討されています。井荻〜西武柳沢間は、事業認可への手続きの1つである環境影響評価書案が東京都知事に提出され、事業認可に向けて動き出しました。
もっとも、現在工事中の東村山付近の完成は2024年度の見込み。中井〜野方間は、用地買収の遅れなどから完成時期が大幅にずれ込み、2026年度に延期されました。野方〜井荻間については、高架方式にするか、地下方式にするかもまだ最終決定していません。新宿線の連続立体交差が完成するのは、まだしばらく先のことになりそうです。
経営母体の変遷から電力業界の再編、新宿の土地問題にバブル崩壊……。日本を取り巻く、さまざまな社会情勢に振り回されて、いまだに開かずの踏切に悩まされている西武新宿線。しかし、JR中央線に近い利便性を備える割に沿線の家賃相場が安い、東京メトロ東西線と連携して都心への移動がスムーズ、着席有料列車の拝島ライナーが好調で小平や拝島からの通勤に便利といった、新宿線ならではのメリットもたくさんあります。連続立体交差事業が進むことで、遅ればせながらももっと便利な路線になっていくことでしょう。