過去の写真や地図も見てみよう
現在の空中写真ではなく、過去の空中写真や地図から、現役当時の様子や経路の変遷をたどることもできます。
過去の空中写真を閲覧するなら、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスが便利。戦前から現代までに撮影された航空写真などを閲覧できるサービスです。
このサービスで、東京都江東区の豊洲周辺を見てみましょう。現在は住宅やオフィスなどが立ち並ぶ豊洲エリアですが、かつては造船所などがあった工業地帯。東京都港湾局が運行していた専用線もありました。現在は晴海橋りょうなどのわずかな遺構のみが残されている専用線ですが、過去の空中写真から現役当時の様子が確認できます。
過去の地図をたどるのにオススメするのは、「今昔マップ on the web」というサイト。明治以降に国土地理院が発行した地形図を、現在の地図と比較して閲覧できるページで、三大都市圏と各都道府県庁所在地、一部地方都市に対応しています。
たとえば、1917年~1924年の地図を読み込んで北千住付近を見てみると、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)の経路が現在と異なっているのがわかります。
これは、荒川放水路(岩淵水門~河口部、現在は荒川本流)の開削によって、1923年に線路が付け替えられたことによります。左側の地図で帯状の白い空間として描かれているのが、後の荒川放水路の工事現場。まさに放水路の掘削が進められている最中の地図なのです。
また、2つの地図を比較すると、かつての北千住~西新井間の線路空間が、道路に転用されていることもわかります。
続いて、1908年の京阪神圏の地図を見てみます。当時の大阪近辺では、現在の東海道本線(JR京都線・JR神戸線)や、関西鉄道線(現在の大阪環状線など)、現在の阪神本線が開業していましたが、阪急京都線や千里線は未開業。もちろん新幹線は影も形もありません。そんな当時の地図と現在の地図を見比べると、東海道本線が現在よりも東寄りのルートを取っているのがわかります。
東海道本線が開業した当時は、吹田駅から淀川を渡るまでの区間は、現在よりも東寄りのルートを取っていました。この区間は1910年以降に現在のルートへと付け替えられ、国有鉄道の設備としてはお役御免となっています。
放棄されたこの線路は、1921年に十三~千里山間を開業させた北大阪電気鉄道(阪急電鉄の前身の1つ)が払い下げを受け、同社の線路用地として活用しました。
この路線の流れをくむ、現在の阪急京都線の南方~淡路間、阪急千里線の淡路~吹田間は、かつての東海道本線の経路を通る区間。特に神崎川を渡る千里線の「新神崎川橋りょう」は、淡路駅付近の連続立体交差事業によって2017年に仮線へ切り替えられるまで、東海道本線用として明治時代に建設された橋脚を使用していました。
ここで紹介した以外にも、全国各地に廃線跡や未成線の遺構が残されています。また、現役路線も空から見てみると、違った発見があるかもしれません。外出が控えられるこのタイミングだからこそ、ネットを活用した鉄道探訪はいかがでしょうか?