30年前の1990年(平成2年)の鉄道風景。今回は九州編です。
JR九州では、国鉄時代からの車両が主流で、特急用車両も485系が全盛でした。
定期列車では、鹿児島本線を特急「有明」「ハイパー有明」が、日豊本線を特急「にちりん」「ハイパーにちりん」が、長崎本線を「かもめ」「みどり」が主に走り、本数も充実。同年3月改正のダイヤでは、博多~鳥栖間が7~11時台(発駅基準)に上下各19本、小倉~大分間は同じ条件で上下各10本という頻度でした。いずれも485系が基本でしたが、JRグループとして最初の新型特急車両となった783系も数を増やしつつありました。783系は1988年3月に営業運転を開始。1991年までの間に90両が製造、投入されました。
急行列車も活躍
日中時間帯の定期急行列車は、「えびの」(博多~人吉~宮崎間)、「くまがわ」(熊本~人吉間など)、「由布」(博多~別府間)、「火の山」(熊本~別府間)の4本が走り、キハ58系など、気動車での長旅を楽しむことができました。
「えびの」は1966年に急行に格上げされた後、34年間運行。肥薩線、吉都線を走る優等列車として活躍しましたが、2000年に廃止となりました。「火の山」は、1975年に豊肥本線を走る優等列車を同列車に統一した際に、急行に昇格。1992年、特急「あそ」への格上げとともにその名称はなくなり、後継の「あそ」も2004年に一旦は名を消しました。その後、2016年4月の熊本地震により一部区間の不通が続いていた豊肥本線でしたが、2020年8月8日に全線で運転が再開。特急「あそ」は、運転区間を熊本~宮地間に変更し、同日復活を果たしました。
なお、1990年は7月の豪雨により、緒方~宮地間が1年以上不通となり、同年秋に筆者が豊肥本線を旅した際、同区間は列車代行バスでした。その先の宮地~熊本間は、「火の山」や「SLあそBOY」などが走り、乗り継いで移動することもできました。
当時のJR九州では、「ジョイフルトレイン」の名称で設定されていた列車が3つあり、土曜・休日を中心に運行。「SLあそBOY」(熊本~宮地間)、「オランダ村特急」(門司港~佐世保間)、「ゆふいんの森」(博多~別府間)の3列車で、いずれも各区間を1往復していました。「SLあそBOY」のけん引機は、国産蒸気機関車の標準機として量産された8620形の58654号機。同機は、1922年(大正11年)に製造され、九州各地で活躍しました。約334万キロを走った後、1975年に一旦廃車。矢岳駅前の人吉市SL展示館で保存されていましたが、小倉工場で修復され、1988年に復活しました。「SL人吉」などのSL列車で今も現役です。
松浦鉄道、西鉄北九州線・・・懐かしの車両
JR発足後、JR九州から路線を引き継いだ鉄道会社は、1988年の松浦鉄道(旧松浦線)、1989年の高千穂鉄道(旧高千穂線)、平成筑豊鉄道(旧伊田線・糸田線・田川線)、くま川鉄道(旧湯前線)の4社。いずれも新たなスタートを切ってからの年数は当時まだ浅く、松浦鉄道では1989年(平成元年)4月に「開業一周年記念入場券」が発売されました。
1990年は北九州市内の路面電車がまだ現役。当時残っていたのは、西鉄北九州本線の砂津~折尾間で、同年秋に筆者が同線を利用した時は、真っ赤な車両が主力で走っていました。北九州本線はその後、1992年に砂津~黒崎駅前間、2000年に黒崎駅前~折尾間が廃止され、一旦は全廃に。その廃止区間のうち、黒崎駅前~熊西間は筑豊電気鉄道が引き継ぐ形で存続し、北九州本線の名残をとどめています。2020年5月30日には、かつての「赤電」を復刻すべく、筑豊電気鉄道の3000形3003号が赤くなって登場。以後3年程度、運行される予定です。
1980年に廃止された西鉄北方線(魚町~北方間)の代替として整備され、1985年に開業したのが北九州高速鉄道(北九州モノレール)です。当初の開業区間は、小倉~企救丘間。JRの小倉駅とは離れていましたが、1998年に小倉駅までの延伸区間が開業し、JR線とのアクセスが向上しました。旧小倉駅はその際に平和通駅に改称され、今日に至ります。