再開発が進む渋谷駅周辺。9月26日には、JR線渋谷駅と渋谷マークシティ、渋谷フクラスを繋ぐ歩行者用デッキの供用が開始されます。一方、前日の25日をもって、旧東急百貨店東横店内の歩行者通路と、JR線の「玉川改札」は閉鎖されます。
ところで、玉川改札の「玉川」は、渋谷駅からは離れた世田谷区の地名です。なぜ、渋谷駅の改札口に、この名前が使われていたのでしょうか?
玉川改札の由来となったのは、東急線の二子玉川駅があるエリアの地名ではなく、かつて存在した路面電車、東急玉川線です。
1907年に開業し、「玉電」などの愛称で親しまれた玉川線は、かつて東急が運行していた3つの路面電車路線の総称。このうち、現在の国道246号線「玉川通り」を経由して渋谷~二子玉川園(当時)などを結んでいた路線が、玉川改札の由来となった狭義の玉川線です。
渋谷駅の玉川改札は、この玉川線ののりばと直結していたことが名前の由来です。玉川改札が設置されている東急百貨店東横店西館は、玉電ビルとして1938年に竣工し、翌1939年に玉川線のりばが2階に開設されました。同年から廃止までの30年間、玉川改札の目の前に玉川線のりばが設置されていたのです。
かつての玉川線は、渋谷駅を出ると、銀座線の車両基地や京王井の頭線に挟まれながら道玄坂上交番前へ。そこから南下し、玉川通りへと合流していました。
その玉川線のりばの改札口やホーム終端部は、廃止後に東急百貨店の敷地に転用され、ホーム跡のスペースは東急百貨店と渋谷マークシティを結ぶ歩行者用デッキに。線路跡には渋谷マークシティが建ち、かつての玉川線渋谷駅の面影はほとんど残っていません。
1969年に廃止された玉川線ですが、玉川改札の他にも、現在までその痕跡を残す箇所があります。
首都高速3号線と中央環状線を接続する大橋ジャンクションは、かつて玉川線の車両基地があった場所。玉川線廃止後は東急バスの車庫として使われていましたが、地下トンネルと高架道路をループ構造で結ぶため、広大な敷地を必要とするジャンクションに場所を譲り、車両基地としての役目を終えました。現在、大橋ジャンクションの敷地内には、かつての玉川線を忍ぶレールのモニュメントや、玉川線の解説プレートが設置され、かつての記録を今に伝えています。
道路上を走る併用軌道が一般的だった玉川線ですが、一部では専用敷地内を走る専用軌道となっていました。用賀駅周辺もその一つ。かつての専用軌道敷地は、現在は都道に転用されていますが、その道路脇には「玉電用賀駅跡」の石碑が残されています。
また、狭義の玉川線とともに、東急の路面電車として二子玉川園~砧本村間で運行されていた砧線も、かつての敷地を転用した道路などに、その痕跡を見ることができます。
そして、玉川線の生き証人と言えるのが、三軒茶屋~下高井戸間を結ぶ東急世田谷線です。路面電車として数えられる世田谷線ですが、全区間が専用軌道となっており、玉川線・砧線廃止後も残存。1999年にデビューした現在の主力、300系のうち1編成は、かつての玉川線の車両を模したラッピングで運転されています。
世田谷区玉川と都心を直接結ぶ唯一の鉄道路線であった玉川線ですが、併用軌道区間で軌道敷地内に進入する自動車による遅延の発生が深刻となっていたほか、玉川通り上に新たに首都高速を建設することとなり、地下新線に役目を譲って廃止されることとなりました。
その地下新線は、1977年に渋谷~二子玉川間の新玉川線として開業しました。その名称は、2000年に二子玉川以西の田園都市線に吸収されて消滅しましたが、現在もかつての玉川線の線路跡地直下を走る路線として、都心と玉川を結んでいます。