30年前の平成2年(1990年)の鉄道風景を紹介するシリーズ、4本目は東海・近畿編です。
0系こだま、381系しなの、117系新快速
東海道新幹線では0系がまだまだ数多く走り、在来線の電車特急では、381系、183系、485系など国鉄型が主流でした。特急「しなの」の運用でデビューした381系は、JR発足後も引き続き中央本線で走り続け、一部は大阪~長野間でも運行。1990年夏のダイヤでは、「しなの」は定期列車13往復、臨時列車3往復が設定され、いずれも381系が担いました。近畿圏では、特急「くろしお」の全列車が381系で運転。山並みや太平洋を背景に長距離を走る381系は、当時の花形だったと言えるでしょう。
筆者は同年9月、中央本線を臨時列車や特急で乗り継ぐ旅をしました。中央西線では、快速「ナイスホリデー赤沢森林」、しなの3号、快速「ナイスホリデー馬籠・妻籠」、しなの11号、同13号の順に乗車。ナイスホリデー馬籠・妻籠は117系が使われ、山間部で新快速に乗る気分を味わいました。
近畿圏では、117系による新快速がまだ健在。と言っても、1989年に登場した新顔の221系との置き換えが進みつつある状況だったので、特に日中時間帯の新快速運用は希少な印象がありました。117系新快速が登場したのは1980年1月。新快速全列車の117系化が実現したのが同年7月だったので、記念すべき10周年の節目を迎えていた訳ですが、注目を集める年にその地位を後進に譲る時期が重なっていたことになります。競争と変化が求められる新快速ならではの宿命を感じます。
新快速は、2020年10月で50周年を迎えました。現行の車両は、223系(1995年~)、225系(2010年~)です。
名古屋圏で活躍した117系のうち3両は、2011年の「リニア・鉄道館」開館とともに、休憩用車両として屋外展示、公開されました。その後、2019年7月の展示替えで、117系は1両が館内で展示される形になっています。
快速「みえ」が登場、京阪神では国電タイプが主流
1990年には、春のダイヤ改正で快速「みえ」が新たに設定されました。運転本数は、名古屋~松阪間で8往復のほか、名古屋~紀伊勝浦間1往復の計9往復。キハ58形とキハ65形のリニューアル車両による2両編成で、ヘッドマークを装着しての運行でした。名古屋→紀伊勝浦間では同年夏、夜行臨時列車として快速「スターライト」の運転もありました。
近畿圏を走る一般形電車では、国鉄時代からの103系、201系などが主力を担っていました。特に103系は、首都圏からは呼称として消えた「国電」が現役で走る観があり、1990年当時にしてどこか懐かしさが感じられたものでした。
201系の後継として製造された205系は、JR西日本では少数派でしたが、JR京都線、JR神戸線、阪和線で当時は見ることができました。JR西日本所属の103系、201系、205系は在籍数は多くないものの2020年現在もなお現役です。
私鉄の車両・・・南海9000系、名鉄パノラマsuper、遠鉄30形
1990年に乗車した近畿・東海エリアの私鉄車両の中から、今回は3つご紹介します。南海電気鉄道9000系、名古屋鉄道1000系「パノラマsuper」、遠州鉄道30形です。
南海の9000系は、当時としては新参の車両。写真の9501編成は、1985年に6両編成で投入された後、4両編成に組み替えられました。その後、利用者のアンケート結果を踏まえたリニューアルが施され、2019年4月から1年間、「NANKAI マイトレイン」の名称で運行されました。
名鉄1000系「パノラマsuper」は、1988年7月にデビュー。特別料金を要する「特別車」の4両編成で当初は運用されていましたが、1990年には特別料金が要らない一般席車を連結した編成が登場しました。
遠州鉄道30形は、同社初の全鋼製車両。1958年から1980年にかけて計30両が造られました。写真のモハ35号は、先頭部が国鉄80系「湘南電車」を模したグループの1つ。当時は私鉄車両でも国鉄の名残を感じることができました。これと同じタイプの30形で最後まで残ったのはモハ25号。2018年4月に引退し、30形もその歴史に幕を下ろしました。