いよいよ開業する西九州新幹線。武雄温泉~長崎間の約66キロを結び、従来の在来線特急「かもめ」の最速列車よりも約30分の所要時間短縮を実現します。
しかしながら、この新幹線は他の新幹線ネットワークから唯一独立した路線で、博多方面とは武雄温泉駅で在来線特急との乗り換えが必要となります。なぜ、このような中途半端な形での開業となってしまったのでしょうか。
二転三転した新幹線建設計画
そもそも、今回開業する西九州新幹線は、国が法令に基づいて整備計画を決定した整備新幹線のうち、「九州新幹線」の「西九州ルート(または長崎ルート)」にあたる路線です。現在営業している九州新幹線も同じ名称ですが、こちらは「鹿児島ルート」として整備計画が立てられたもの。同じ「九州新幹線」として2つのルートが整備されるという計画でした。
整備新幹線とは、全国に新幹線を敷設することを目的に制定された法律「全国新幹線鉄道整備法」に基づいて、1973年に計画が決定した新幹線路線。当時開業済みまたは建設中の東海道新幹線や東北新幹線東京~盛岡間などに続くものとして、東北新幹線盛岡市~青森市間、北海道新幹線青森市~札幌市間、北陸新幹線東京都~大阪市間、九州新幹線鹿児島ルート福岡市~鹿児島市間、九州新幹線西九州ルート福岡市~長崎市間の5路線の計画が策定されました。2022年現在、東北新幹線と九州新幹線鹿児島ルートは全線開業済みで、北海道新幹線は新函館北斗~札幌間が工事中。北陸新幹線も、金沢~敦賀間が工事中で、敦賀以遠も建設ルートの検討が進められています。
なお、整備新幹線の5路線が計画発表された時点では、現在の西九州新幹線は「長崎ルート」と呼ばれており、次第に呼び方が「西九州ルート」と変化していきました。本記事では、これを「西九州ルート」として統一し表記します。
整備新幹線の計画発表から12年後の1985年、当時の国鉄は、博多~長崎間を早岐経由で結ぶ経路で西九州ルートを整備すると発表しました。しかし1987年には、この計画に不安を覚えて声を上げたものがいました。その意見をを表明したのは、国鉄分割民営化によって発足したJR九州。早岐経由での建設は、全額を公的負担で整備したとしても、並行在来線との収支は年間約100億円の赤字を生じる見込みであるとし、並行在来線の一部廃止や単線新幹線方式、在来線活用方式など、あらゆる角度からの検討が必要としたのです。
整備新幹線としての計画当初は、大型車体や交流25000ボルトによる電化、軌間1435ミリ(標準軌)で建設する、いわゆる「フル規格」としての建設を予定していました。しかし、JR九州が採算性を問題としたことで、この計画が再検討されることとなります。そのフル規格の代替案として挙がったのは、現在の山形新幹線や秋田新幹線で見られる、既存の在来線を新幹線車両が走れるように変更する「ミニ新幹線」、そして「スーパー特急」方式の2種類でした。
「スーパー特急」とは、新幹線並みの高規格新線を1067ミリ軌間で建設し、在来線走行が可能な列車を走らせるもの。正式には「新幹線鉄道規格新線」といいます。線路幅こそ在来線と同じですが、最高速度は時速160キロ~200キロ程度と、初期の新幹線並みの速度での走行が可能というものです。2022年現在、この方式で営業している路線はありませんが、かつては北陸新幹線や九州新幹線鹿児島ルートの一部で、スーパー特急方式を採用する計画でした(後に計画変更)。
1992年、西九州ルートの建設促進連絡協議会において、武雄市~大村市間で早岐駅付近を通過しない「短絡ルート」によるスーパー特急方式での建設が、地元案として合意。そして1998年に、当時の日本鉄道建設公団が、この合意案に基づくルートを発表しました。この時点で、鳥栖市~武雄市間の新幹線建設は棚上げとなった形で、さらに諫早市~長崎市間の建設も一旦は見送られました。
こうして、スーパー特急方式での建設が決定された一方、新たな動きも生まれていました。「フリーゲージトレイン」の導入です。
「夢の車両」フリーゲージトレインとは?
「軌間可変電車」とも呼ばれるフリーゲージトレインは、その名の通り、線路幅が異なる路線を直通できる車両のこと。スペインでは1960年代に客車で実用化されており、日本でも1990年代以降にこれを導入しようという機運が高まったのです。この車両が実用化できれば、軌間1435ミリの新幹線と軌間1067ミリ(狭軌)の在来線の直通運転が可能となる、まさに夢の車両でした。
フリーゲージトレインは、1994年に研究開発が決定され、1998年に一次試験車両が落成。実車での試験が進められていきました。この当時は、純粋な車両技術開発として進められており、特定の導入路線を想定したものではなかったようですが、西九州ルートの整備に際し、このフリーゲージトレインの導入が検討されるよう