3月18日、待望の「相鉄・東急直通線」が開業しました。相鉄線と東急線、さらには東京メトロ副都心線や南北線、都営三田線などとの直通列車が走り始め、相鉄沿線から都心方面への利便性が向上します。
この相鉄・東急直通線は、2019年に開業した「相鉄・JR直通線」とともに、「神奈川東部方面線」として整備が進められた路線でした。その建設構想が持ち上がってから20年以上の時を経て、ようやく全面開業に至りました。今回は、その歴史を振り返ってみましょう。
都市鉄道等利便増進法の適用で整備が進む
相鉄線から神奈川県東部や東京都心方面へ乗り入れる路線は、1985年に国の運輸政策審議会による答申に盛り込まれるなど、高度経済成長期において何度か構想が持ちあがりました。
そして、2000年の運輸政策審議会答申第18号において、二俣川~新横浜~大倉山間を整備し、大倉山駅で東急東横線と直通運転する、現在の形に近い神奈川東部方面線の計画が浮上しました。
また2005年には、「都市鉄道等利便増進法」という法律が施行されました。これは、既存の鉄道路線を活用し、速達性の向上や駅施設の利用円滑化促進などを目指すもの。国と自治体、第三セクターなどの建設を担当する組織(整備主体)が、建設費用のそれぞれ3分の1を負担し、実際の運行に携わる事業者(運行主体)が整備主体に施設利用料を支払って営業する、というスキームが採られました。
この法律を適用して整備する初の新線となった神奈川東部方面線では、線路や駅などは鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道・運輸機構)が建設を担当。相鉄や東急は、鉄道・運輸機構に利用料を支払って営業するという仕組みです。
そして2006年、この法律に基づいて、相鉄・JR直通線と相鉄・東急直通線の整備・営業構想を、鉄道・運輸機構、相鉄、東急がそれぞれ申請。これが認可されました。なお、この時点で答申の構想から一部変更され、東急線との接続駅は大倉山付近から日吉駅となっています。
続いて、2009年には相鉄・JR直通線の工事が認可され、翌2010年に西谷~羽沢(仮称)間が着工。同年には、相鉄・東急直通線のも工事が認可されました。
新線として建設されることになったのは、相鉄本線西谷駅から、JRの貨物駅である横浜羽沢駅付近、新横浜駅付近、綱島駅付近を経て、東急東横線・目黒線日吉駅までの区間。途中、羽沢、新横浜、新綱島(いずれも仮称)の新駅が設けられる計画で、相鉄・JR直通線は、羽沢駅構内から東海道貨物線に乗り入れることになりました。
2度の延期を経て進む工事
2009年と2010年に相次いで工事が認可された、相鉄・JR直通線と相鉄・東急直通線。この時点では、相鉄・JR直通線は2015年4月、相鉄・東急直通線が2019年の開業を予定していました。
しかし、神奈川東部方面線は、開業時期の延期が繰り返されることとなりました。
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相次ぐ遅延から開業に向けて進んだ神奈川東部方面線。プレミアム会員に登録すると、その経緯がご覧になれます。
最初に延期が発表されたのは2013年。羽沢駅における東海道貨物線との接続工事の遅延が理由でした。この時点では3年程度の延期と発表され、開業予定は2018年度となっていました。羽沢横浜国大駅東側の、JR直通線と相鉄直通線の分岐点。この付近の工事が遅延したことで、JR直通線の開業は3年程度延期となりまし