2024年12月7日。普段と何も変わらない土曜日のようですが、東海道・山陽・九州新幹線では、一般の旅客からは見えない部分で、ある大きな変化がありました。それは、「総合指令所」の引っ越し。一時的ではありますが、東京の「新幹線総合指令所」から、大阪の「第2総合指令所」へと、業務が移管されたのです。
新幹線を含むさまざまな鉄道路線は、手動運転のものでは乗務員が、自動運転列車ではシステムが、それぞれダイヤに従って列車を走らせています。これを離れたところから見守っているのが、指令所です。指令所は、普段は列車の運転状況や電気、信号設備の稼働状況を監視していますが、ダイヤ乱れや設備故障などのトラブルがあると、列車や関連部署に指示を出したり、情報を共有したりして、回復に努めます。まさに鉄道路線の頭脳と呼べる施設です。
東海道・山陽新幹線では、普段は東京にある総合指令所がこの役目を担っています。しかし、大地震などで東京の指令所が機能を停止した場合、東京から遠く離れた山陽新幹線まで、列車の運行が止まってしまうおそれがあります。
新大阪駅付近にある第2総合指令所は、そういった状況を回避するために整備された施設。新大阪駅近辺に設けられており、普段は待機状態となっていますが、いざという時にはすぐに運用を開始できる環境が整えられています。
通常はスタンバイモードとなっている第2総合指令所ですが、年に1度だけ、訓練のために稼働することがあります。2024年は12月7日がその日。たった1日ではありましたが、新幹線の安定輸送を支える裏方にとっては、大きなできごとでした。
指令所の業務が東京から大阪へ移管されたのは、日付が7日に変わった直後。7日は大阪の指令が業務を担当し、8日に日付が変わった直後、ふたたび東京の指令所へと移管されました。報道陣に公開されたのは、この24時間のうち、7日午前中の1時間ほどでした。
なお、指令所は新幹線の運行管理の根幹を担う重要施設のため、テロなどの被害を防ぐべく、非常に厳しいセキュリティ体制が敷かれています。第2総合指令所についても、場所は「大阪にある」ということ以外は極秘となっています。
指令室に入ると、奥の壁にパネルがならび、その手前に多くの机とモニターが置かれています。奥の壁にある表示パネル「総合表示盤」は、列車が現在走行している位置を示すもの。東海道・山陽新幹線の東京~博多間が壁の全面を占めており、九州新幹線用のモニターも右側に設置されています。
手前の机やモニターは指令員用の卓で、ここで列車の運転状況や設備の稼働状況を監視したり、異常発生時の情報伝達や指示を行っています。なお、指令所内部のつくりは、東京のものと互換性を持たせるため、大きな違いはないということです。
指令員は、「輸送(列車)指令」「輸送(旅客)指令」「運用指令」「施設指令」「電力指令」「信号通信指令」「情報指令」「車両指令」というセクションにわかれ、運転状況を監視しています。
また、指令の仕事は列車の運転時間帯だけでなく、深夜の工事作業を監視する役目もあります。そのため、背広型の制服を着た運輸系の指令員たちは24時間交代で、列車の走らない時間帯はほとんどが休憩しているそうですが、作業服型の制服を着た公務系の指令員は、日勤組と泊まり組にわかれ、24時間体制で状況を監視しているのだといいます。
この指令所が管轄する区間は東海道・山陽新幹線の東京~博多間ですが、指令所にはJR九州の社員も詰めています。山陽新幹線と線路がつながっている九州新幹線は、指令業務は博多にあるJR九州の指令所で実施していますが、東海道・山陽新幹線の状況を博多の指令所に伝えるため、連絡要員をこちらにも配置しているとのこと。普段は東京の指令所で勤務するJR九州の社員たちも、この日は大阪での業務となりました。
また、指令室は東海道・山陽(・九州)新幹線で1つしか稼働していませんが、指令長は3人もいます。JR東海の指令長、JR西日本の指令長、JR九州の指令長と、各社それぞれのトップが配置されており、それぞれが各社の指令に指示を出したり、責任を持つ役割です。
指令所の様子を見学していると、突然警報音が鳴り、指令員たちが慌ただしく動き始めました。ある駅で非常ボタンが押されたということです。筆者のように、たまにしか新幹線を利用しない人であれば、このような事態が起きると「何事か」と思ってしまいます。しかし、ここにいるのは百戦錬磨の指令員たち。駅から上がってくるものとあわせて室内で情報を共有し、非常ボタンの動作が解除された後は、迅速に列車の運転再開につなげていました。ここが普段の東京にある指令所ではなく、この日は臨時の訓練の日であるにも関わらず、そうとは思わせない鮮やかな手さばきでした。
この日、東海道・山陽新幹線の運転列車として計画されていたのは、合計524本。最高時速285キロ(東海道新幹線区間)の「のぞみ」が3分間隔で走るような驚異的なダイヤが組まれているこの新幹線を、総勢115人の指令員たちが、安全な運行の実現のために尽力していました。
今回勤務に就いた、JR東海で輸送指令長を務める手川直人さんは、「日本は地震大国ですので、いつ発生してもおかしくない状況です。いずれにしても、しっかりとした安全対策を進め、安全性を求めていきたいと常に考えております」と、その重責を担う心境を語っていました。
第2総合指令所が整備されたきっかけは、1995年の阪神・淡路大震災。この震災では、山陽新幹線の高架橋が一部で崩れるなどの被害を受け、被害区間は数か月の間も不通となりました。
阪神・淡路大震災は、都市部を襲った大地震として、各方面に(比喩的な意味で)大きな衝撃を与えましたが、JR東海とJR西日本では、「万が一同じような地震が東京の指令所を襲ったら」という懸念を抱きました。列車運行の中枢を担う指令所が機能しなければ、線路や変電所、車両がすべて無事だったとしても、列車の運行はできません。両社は震災発生後、仮に大地震で東京の指令所が被災したとしても、無事な区間での運行ができる体制を整えるべく、この大阪に新たな指令所を整備することを決定。そして1999年2月、第2総合指令所が稼働を開始しました。
2024年で稼働開始25周年を迎えた第2総合指令所ですが、これまでに指令所として使われた回数は25回。つまり、年1回の訓練でしか実戦投入されたことがありません。その他の期間は、通常は機器の電源を入れたスタンバイ状態で、人員は配置されていません。そのような平時がずっと続いてきたことになります。
万が一、事が起きて東京の指令所が機能しなくなった場合、大阪の指令所には、指令の資格を持ちながらも普段は別の仕事をしている人たちなどが急行し、列車の運行再開に取り組むことになります。そのような事態が起きないことを願うばかりではありますが、今後どのような災害が、いつどこで起こるかは、誰にもわかりません。起きてほしくない事態にそなえて、JR東海、JR西日本、JR九州の3社は、このような訓練を毎年繰り返しているのです。