東京の西部で鉄道事業を展開している京王電鉄。同社の路線は、新宿~京王八王子間の京王線を中核に、多摩ニュータウンに向かう相模原線、渋谷~吉祥寺間を結ぶ井の頭線など、6つ(京王新線を別にカウントすれば7つ)が存在しており、井の頭線を除く各線をまとめて「京王線」と呼ぶこともあります。

つまり、京王線という単語には、京王電鉄の路線という意味と、新宿~京王八王子間の一つの路線を指す呼び方、そして相模原線などもまとめた京王線系統全体(井の頭線以外の全線)と、3つの意味があります。
一部の私鉄では、中核路線を「本線」と呼ぶことがあります。たとえば、京成本線や京急本線、京阪本線といった具合。中には東急や西武のように本線が存在しない大手私鉄もありますが、これらの場合は東急の東横線と田園都市線、西武の池袋線と新宿線のように、多くの場合は核となる=本線に相当する路線が複数ある会社です。
であれば、京王の場合は「京王本線」としてもおかしくなさそうなのですが、なぜ同社は中核路線も「京王線」という名前にしているのでしょうか。これについて京王電鉄に取材しましたが、回答は得られませんでした。
とはいえ、過去にさかのぼれば、その理由は推測できます。「京王本線」とはならなかった背景を、京王電鉄や、その周辺の私鉄の歴史から探ってみましょう。
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3つの会社の流れを汲む京王電鉄京王線の歴史は、京王電気軌道の路線として、1913年に笹塚~調布間が開業したのが始まり。関連会社の玉南電気鉄道(1926年に京王に吸収)が建設した府中~東八王子(現在の京王八王子駅)間が1925年に開業したことで、新宿と八王子を結ぶ路線が完成(ただし新宿~八王子間直通開