いよいよ2025年1月にT4編成が引退する、東海道・山陽新幹線の923形新幹線電気軌道総合試験車、通称「ドクターイエロー」。その歴史は、日本の新幹線の歴史とも重なります。ここで、改めてその歩みを振り返ってみましょう。
ドクターイエローの黄色は総武線の「カナリアイエロー」と同じ色
ドクターイエローの歴史は、1962(昭和37)年10月、まだ東海道新幹線が鴨宮モデル線で走行試験を行っていた時代に製造された「4000形新幹線用軌道試験車」に始まります。丸みを帯びた箱のような形をした車両で、911形電気機関車などに牽引されて、最高時速160キロで軌道の狂いや動揺などを検測できました。全長18メートルの車体に3つの台車を履き、それぞれの台車の物理的な変位を計測することで、軌道の状態をチェックしていました。
現代の新幹線のイメージから離れたシンプルなデザインの車両でしたが、事業用車両であることが一目でわかるよう、車体を国鉄指定の塗色である黄5号で塗装し、青15号の帯を配置しました。これが、現在に至る「ドクターイエロー色」のルーツとなります。黄5号は、首都圏の中央・総武緩行線の路線カラーである「カナリアイエロー」と同じ色。また青15号は、20系特急型寝台客車をはじめ当時の最新型車両に多く使われた色でした。
1964(昭和39)年10月1日の東海道新幹線開業が近づくと、国鉄は試験走行に使用していた1000形電車を事業用車両に改造しました。3本あった1000形のうち、電気・信号・通信関係の検測を行う電気試験車に生まれ変わったのが、4両編成のB編成です。B編成は、1963(昭和38)年3月30日に、当時としては世界最速となる時速256キロを記録した編成。先頭車に「256km/h」のプレートを装着したままドクターイエロー色に塗られ、「922形電気試験車(922形0番代)」となりました。「T1編成」と呼ばれたこの編成が、「初代ドクターイエロー」といえます。なお、T1編成の登場と同時期に、4000形軌道試験車も「921形」に改称されました。こうして、東海道新幹線は921形が軌道を、922形が電気・信号・通信を検測する体制で開業を迎えたのです。
山陽新幹線博多開業に合わせて「新幹線電気軌道総合試験車」が登場
さて、東海道新幹線の開業から10年が経過すると、921形と922形では施設の検測に不都合が出てきました。試験車両をベースとし営業用車両である0系とは異なる構造をもつ922形は保守面で難点があり、921形は機関車に牽引されて時速160キロ以下でしか検測できなかったことから作業が深夜に限られました。保守面と作業面双方に問題を抱え、山陽新幹線岡山~博多間が開業して路線延長が1000キロを超えると、安定した検測作業が困難になるおそれがありました。
そこで国鉄は、軌道系統と電気系統、双方の検測機能を備え、営業列車と同じ時速210キロでの検測が可能な新型試験車を新製します。それが、1974(昭和49)年に登場した922形10番代「新幹線電気軌道総合試験車」、通称「T2編成」です。
T2編成は、営業用車両である0系16次車(1973~1974年増備分)をベースに開発された7両編成です。T1編成が、鴨宮モデル線時代の検測機器を流用していたのに対し、T2編成は新設計のシステムを多数搭載。観測された各種データは車内のコンピューターでリアルタイムに処理され、万一異常が見られた場合はただちに警報を発する機能を備えました。当時、高速で走行する鉄道車両に大型の電子機器を搭載した例は世界的にほとんどなく、開発にあたっては機器類を載せたトラックを高速道路で走行させて動作テストを行うなど、大変な苦労があったそうです。また5号車は「921ー11」を名乗る軌道検測車で、全長17.5メートルの短い車体に初代921形と同様3つの台車を備えて軌道の状態を検測しました。
1974年秋に完成したT2編成は、1975(昭和50)年3月の山陽新幹線博多開業に合わせて投入され、同年1月から試験運転と各種検測を開始しました。役割を終えた初代試験車両のうち、921形は東北新幹線の小山試験線に転属し、922形0番代T1編成は廃車となりました。残念ながらT1編成は解体されて現存せず、「256km/h達成」のプレートだけが、名古屋の「リニア・鉄道館」に保存されています。
東北・上越新幹線でも活躍した黄色い新幹線
1979(昭和54)年、922形20番代、通称「T3編成」が登場します。T2編成が全般検査などの大規模な検査を行っている間も検測が行えるよう増備されたもので、0系27次車をベースに開発されています。このため、T2編成が客席2列分の大型窓を備えていたのに対し、T3編成は小型窓となり、外観の大きな違いとなりました。機器の構成はほぼ同じですが、架線とパンタグラフを検測する方式が、夜間に強力なライトで照らしてカメラによる撮影・観察を行うITV方式から、レーザー光線を当てて検測する方式に変更されました。なお、T2編成の架線検測装置も1984(昭和54)年にレーザー方式へ変更され、時間帯を問わず検測が行えるようになりました。
また、この年は東北・上越新幹線向けの電気軌道総合試験車として925形S1編成が新製されました。東北・上越新幹線初の営業用車両である200系の試作車に当たる962形をベースに設計された車両で、検測機器の配置は922形20番代とほぼ同一ながら、アルミ車体と、雪対策で床下までを覆うボディマウント構造を採用しました。ただし、軌道検測車の5号車921-41だけは従来と同様普通鋼製。これは、柔らかいアルミ車体は走行中に車体がわずかに変形してしまい、3つの台車の位置を正確に検測できないためです。また、S1編成は200系などと同じクリーム色10号と緑14号の東北新幹線色で登場しており、当初は「ドクターイエロー」ではありませんでした。東北・上越新幹線開業後の1983(昭和58)年には、962形を改造した925形10番代S2編成が登場。この時、S1編成を含めて黄5号+緑14号の配色が採用されました。
東海道開業20周年を機に広まった「ドクターイエロー」の愛称
こうして4編成が揃った「黄色い新幹線」ですが、実はこの頃までは「ドクターイエロー」という愛称は存在していませんでした。名付け親は不明ですが、メディアに「ドクターイエロー」の愛称が登場したのは、判明している限りでは、東海道新幹線開業20周年を目前に控えた、1984(昭和59)年7月のことです。山と溪谷社から刊行された「日本の鉄道12新幹線」で、「ドクターイエロー新幹線」と紹介されました。翌8月には週刊誌の雑学記事にも「ドクターイエロー」が登場。この頃から、少しずつ「ドクターイエロー」の名称が雑誌や書籍に登場するようになります。新語・流行語を解説する「現代用語の基礎知識」(自由国民社刊)にも、1992年版に初めて「ドクターイエロー」の項目が掲載されました。
そして、東海道新幹線が開業30周年を迎えた直後の1994(平成6)年12月、JR東海が発行するビジネス雑誌「Wedge」に、PR記事「トロリ線・軌道を見つめる試験車『ドクターイエロー』」が掲載。この時から、「ドクターイエロー」はJR公認の愛称となりました。
時速270キロ運転での検測に対応した923形の登場
1998(平成10)年8月、JR東海は、新型ドクターイエローの開発に着手することを表明します。T2編成はJR東海が、T3編成はJR西日本が承継していましたが、どちらも老朽化が進んでいたうえ、1992(平成4)年に時速270キロ運転を行う300系〔のぞみ〕が登場し、922形はダイヤに合わなくなっていたからです。新しいドクターイエローは、当時先行試作車が試運転を行っていた700系をベースとし、時速270キロでの検測に対応。高速走行に対応するため軌道検測車は全長25メートルの2台車方式となり、軌道の変位測定は台車の物理的な位置ではなくレーザーによる測定に変更されました。トロリ線(架線)の摩耗測定装置も、922形では毎秒1000回行っていたレーザー照射を毎秒1500回に引上げ、従来は58ミリごとだった測定精度を50ミリに高めています。
2000(平成12)年10月に完成した編成は、923形と名づけられ、試運転の後2001(平成13)年夏から検測業務に就きました。これが、このたび引退する「T4編成」です。T4編成のデビューに伴い、922形T2編成は2001年に引退。2005(平成17)年には第2編成となる923形3000番代T5編成が増備され、入れ替わりで922形T3編成も引退・廃車となりました。T3編成の7号車(922-26)は、2011(平成23)年に開館したリニア・鉄道館で保存・展示されていましたが、923形T4編成がリニア・鉄道館で保存・展示されることが決まったため、所有者であるJR西日本に返却されることが決まりました。今後922-26は、石川県の白山市立高速鉄道ビジターセンター(トレインパーク白山)で展示される見込みです。
なお、東北・上越新幹線で使用された925形は、1996(平成8)年、50-60ヘルツ両対応や30パーミル勾配対応といった長野新幹線向けの改造を受け、1997(平成9)年の高崎~長野間開業後は同区間の検測も担当しました。しかし、2001年に新型のE926形「East i」が登場すると、S1編成は2002年、S2編成は2003年に相次いで引退。JR東日本からドクターイエローは姿を消すことになります。
Twitter(X)が広めた「幸せの黄色い新幹線」
2001年のデビュー以来、923形「ドクターイエロー」は、「のぞみ」ダイヤで10日に1回程度、「こだま」ダイヤで3か月に1回程度の頻度で東海道・山陽新幹線の検測を行いました。その知名度を一般の人々へ押し上げたのは、Twitter(現・X)でした。2009(平成21)年頃から日本でTwitterの普及が進み、ドクターイエローを目撃した人が「幻のドクターイエローが来た」「ドクターイエローが見られてラッキー」と呟くようになったのです。この年の夏にはテレビ番組でもドクターイエローが大きく取り上げられ、「幸せの黄色い新幹線」と呼ばれるようになっていきました。
こうしてスター的存在となったドクターイエローですが、T4編成は製造から約25年が経過し、惜しまれながら引退することになりました。JR西日本所有のT5編成は2027年頃まで使用される予定で、まだもうしばらくはその活躍を見ることができますが、T5編成の引退後は営業用車両のN700Sに搭載された機器で営業運転を行いながら検測する方式に変わります。
60年あまりにわたって活躍してきた「幸せの黄色い新幹線」。まもなくその歴史の幕を閉じようとしています。