5月19日、クラブツーリズム主催のツアー、「お座敷列車・宴で行く特別ルート 新・都会の貨物線日帰りの旅」が開催された。
普段は乗れない貨物線を巡るこのツアーは、今回で9回目の開催となる大人気商品だ。2017年には、「鉄旅オブザイヤー」のグランプリ賞も獲得している。
キャンセル待ちも発生するほど大人気な貨物線ツアーに、鉄道コムスタッフが初めて参加した。皆様に、知られざる貨物線を巡る旅をお届けしよう。
9:02、上野駅15番線。「貨物線の旅」で使用される車両が入線してきた。
今回のツアーで使用されたのは、ジョイフルトレイン「宴」。今では数少なくなったお座敷車両だ。車内は畳敷きになっており、足を伸ばして座ることもできる。両先頭車にはフリースペースが設けられており、運転台直後から前面展望も可能だ。貨物線を巡るこのツアーでは、先頭のフリースペースはうってつけのスポットだ。
列車は9:11に上野駅を発車。常磐線へと進路を取り、金町駅で小休止した後、9:42に松戸駅2番線に到着した。10分ほど停車した後、9:51に進行方向を変えて出発。三河島駅より常磐線貨物支線へと入線した。
常磐線貨物支線は、田端駅と尾久駅に挟まれた田端信号場駅と、三河島駅を結ぶ1.6キロの路線。実は1896年に現在の常磐線が開業した際は、こちらの田端~三河島間が本線だった。貨物列車の運転を考慮して建設されたこのルートだが、上野行きの旅客列車を運転する際にはスイッチバックが必要なため、1905年に現在の日暮里~三河島間を直接結ぶルートが開業。田端~三河島間は貨物支線となった。
田端操駅に20分ほど停車した後、列車は東北貨物線に入り、大宮方面へと進み始めた。東北貨物線は、その名の通り東北本線の貨物用として敷設された線路だが、現在は湘南新宿ラインの列車など、数多くの旅客列車も運転されている。東北本線の旅客線や京浜東北線と並走しながら北上し、列車は10:53に大宮操車場に到着した。
大宮操車場は、東北貨物線上に設けられた操車場。かつては貨車の入換や貨物取扱なども行う大規模駅だったが、貨物列車の削減により、その役目を終えた。現在では、東北本線と武蔵野線の分岐点としてその地位を有している。かつて広大な面積を誇った操車場は再開発用地となり、「さいたま新都心」として、オフィスやショッピングモールが開かれている。最寄駅としてさいたま新都心駅が設置されているのは周知の通りだろう。
大宮操車場で50分ほど停車した列車は、11:41、再び北に向けて走り出した。大宮駅で1分間停車した後、列車は東北本線に別れを告げ、川越貨物線へと入線した。
川越貨物線は、大宮~日進間に敷設されている線路の通称。かつて川越線が非電化だった時代、同線の列車はこの線路を使用して運転されていた。1985年の電化・埼京線直通開始時にこの線路を通る定期旅客列車は廃止されたが、その後も数年間は貨物列車が使用していたという。また現在は、この線路を通る臨時列車が年に数本設定されており、タイミングが合えば走破することも可能だ。
川越貨物線を抜け、これまでの複数路線が並走する区間と打って変わって単線区間となった川越線を走る列車。信号システムの関係上、途中全ての駅に停車しつつ、12:06に南古谷駅に到着した。
南古谷駅での小休止の後、列車は12:23に大宮方面へと向きを変え走り出した。再び川越貨物線を走行し、大宮操車場へ。今回はそのまま大宮操車場を通過し、武蔵野線の貨物支線へと踏み入れた。
鶴見と西船橋を結ぶ武蔵野線。元々は貨物列車用の路線として計画されたため、東北本線や常磐線、中央線などと接続する支線が随所に設けられている。列車はこれに含まれる、通称大宮支線と西浦和支線を走行し、武蔵浦和駅へとワープした。
先に述べたように、武蔵野線は貨物線として計画された路線だ。このため、旅客列車のみならず、貨物列車とすれ違うことも比較的多い。また、沿線には越谷貨物ターミナル駅など、貨物を取り扱う施設が数か所設けられている。
ここで、参加者の方に話をうかがった。このツアーに過去3回参加したという参加者は、「お座敷列車の旅に魅力を感じる」と語った。通常の座席を有する車両と異なり、お座敷タイプの車両ならば、自然と他の参加者とのコミュニケーションが生まれる。最初は貨物線を走るという物珍しさから応募したというこの方だが、新たな出会いを求めて、同じ行程のツアーにも複数回参加したのだという。
そんなことを話していると、列車は千葉県に入った。南流山駅で武蔵野線に別れを告げ、通称馬橋支線に入線。流鉄流山線を跨ぎ、再び常磐線に入った。
14:10、常磐線を東京方面に向けて出発。午前中に訪れた松戸駅を通過し、14:18に金町駅に到着。5分間の小休止を挟み、列車はいよいよ今回のハイライトである新金貨物線へ入線した。
金町と新小岩を結ぶ総武本線の貨物支線、新金貨物線。総武線の貨物列車を都心まで走らせるために建設された短絡線だ。武蔵野線の開業により貨物列車の本数は減ったものの、現在でも総武線方面と都心方面を結ぶ貨物列車の走行経路として使用されている。
この貨物線の旅を企画しているのは、クラブツーリズムの大塚雅士さん。子どもの頃、北千住に住んでいた大塚さんは、国道6号線を横切る大きな踏切が、いつ通っても開いたままだったのが気になっていたという。この踏切の路線がまさに新金貨物線だった。
成長と共にこの貨物線の存在を知った大塚さんは、旅行会社に就職したことで、いつかこの路線を通るツアーを企画したいと思うようになったという。思い出の踏切を眺める大塚さんは、踏切待ちをしていた子どもたちを見ながら、夢は叶うことを伝えたいと語った。
新金貨物線を抜けた列車は、14:33に新小岩操駅に到着。ここから終着となる両国駅までは通常ならば10分ほどの距離だが、新小岩操駅から両国駅方面へは直接入線することができない。そのため、列車は一旦千葉方面へ向かい、折り返すこととなる。14:45に新小岩操駅を出発した宴は、再び千葉県に入り、14:58に津田沼駅に到着した。
最後の小休止を行った列車は、15:15に再び東京方面へと進みだした。津田沼駅からの旅は残り20分ほど。「宴」もたけなわ、といったところだが、名残惜しさを背に、列車は終点、両国駅へと突き進んだ。
15:36、両国駅着。列車は、かつて房総方面への優等列車が発着した3番線に到着した。本来では10分ほどで着いてしまう上野~両国間を、6時間も掛けて走行したこのツアー。しかしながら、参加客は誰も疲れた様子はなく、むしろ名残惜しさを滲ませながら、列車に別れを告げていた。
毎回キャンセル待ちが発生するという貨物線の旅。大塚さんによると、8月には「夜の貨物線」ツアーを企画しているという。「あと3年は続けられる」と自信を見せる大塚さんやクラブツーリズムに、今後も期待したい。
※操車場などの名称について、JR貨物では田端操駅が「田端信号場駅」、新小岩操駅が「新小岩信号場駅」となるのが正式ですが、文中ではJR東日本の名称を使用しました。