鉄道を支える、または支えてきたさまざまな建築物、施設、設備。これらのうち、一定の年月を経たものは鉄道遺産とも呼ばれ、その歴史や功績を今に伝えています。
今回は、鉄道遺産とされるものの中から、東京都千代田区と中央区にあるスポット(計4か所)をご紹介します。*1.2.は8月5日、3.4.は8月3日に撮影
1.晴海橋りょう(東京都港湾局専用線)
東京都道304号線の本線区間上にある春海橋。隅田川の河口部、春海運河に架かる橋で、中央区と江東区の境界をまたいでいます。その春海橋の南側に並行して架かっているのが、かつての貨物線の橋りょう「晴海橋りょう」です。
貨物線は、東京都港湾局の専用線にあたり、亀戸~越中島~豊洲石炭埠頭間を結ぶ「深川線」と、豊洲三丁目付近で分岐し、晴海埠頭までを結ぶ「晴海線」などがありました。晴海橋りょうは、その晴海線の鉄道橋で、1957年11月に完成。国鉄が設計と施工を行い、完成後に東京都に引き渡されたという経緯があります。
ディーゼル機関車がけん引する貨物列車が行き来していましたが、1980年代半ばから専用線の廃止が一部で始まり、最後まで残った晴海線も1989年2月に廃止となりました。以降、春海鉄道橋を列車が通ることはなくなりましたが、橋りょう部分は遺構として存続。今なお、その姿をとどめています。
2.浜離宮前踏切(汐留~東京市場間廃線跡)
再開発により、高層建築が並ぶ汐留エリア。かつて国鉄の貨物駅である汐留駅があった一帯です。その旧汐留駅の貨物ホームの脇から、東京市(当時)の中央卸売市場内に設けられた東京市場駅までを結ぶ引き込み線がありました。敷設されたのは、関東大震災の後。中央卸売市場が築地に開場したのを受けて敷かれ、卸売市場の輸送を支えました。最盛期には1日に150両の貨物車両が通過したといいます。
引き込み線は単線で、全長は1.1キロ。1986年の旧汐留駅廃止の後に撤去され、線路用地は主に区道として残っています。鉄道設備の名残としては、都道316号線(海岸通り)に設けられた踏切「浜離宮前踏切」の警報機があり、現地では、「銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機」と掲示されています。
3.松住町架道橋
松住町架道橋は、JR総武線の御茶ノ水~秋葉原間に位置し、外堀通りと国道17号線が入り組む地点に架かる鉄道橋です。関東大震災の後、総武線を西に延ばし、同線の起点を両国駅から御茶ノ水駅にする際に架けられました。
道路をまたぐ必要があったことと、当時の交差点は、東京市電が通っていたこともあり、橋脚を設ける工法がとれませんでした。そのため、橋脚を使わないアーチ橋が採用され、アーチ両端の支点部に力がかからないように、つなぎ材で支持する「タイドアーチ橋」が使われました。鉄道橋としては、日本で最初のタイドアーチ橋で、1932年に竣工。輸入ではなく、国産の橋りょうで、震災復興にあたり、最新の技術が積極的に投じられた建造物の一つといわれています。
4.小石川橋通り架道橋
小石川橋通り架道橋は、JR中央線・総武線の飯田橋~水道橋間に架かる橋りょうです。日本橋川などをまたぐ鉄道橋で、川に架かる2本の道路橋(三崎橋と新三崎橋)と並行しています。
製造年は1904年。ドイツのメーカーHARKORT社で製作され、同年末、甲武鉄道(当時)の飯田町~御茶ノ水間の開通にあわせて架設されました。総武線の列車が走る北側の橋りょうが、当時からのものです。中央線快速列車などが走る南側の橋りょうは、1933年、飯田町~御茶ノ水間の急行線開業時のものになります。
鉄道遺産は、都内だけでもこのほかにいくつもあり、全国に目を向ければ、国の登録有形文化財、重要文化財をはじめ、土木学会選奨土木遺産、近代化産業遺産など、遺産として指定されたものも数多くあります。現地を訪ね、その歴史をたどってみるのもいいでしょう。
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