小田急電鉄の看板列車である特急「ロマンスカー」。このロマンスカーの1形式、7000形「LSE」が、2018年に現役を退きます。1980年の就役以来、38年間第一線で活躍したLSE。その活躍の歴史と、10月13日に開催されたラストランツアーの模様をご紹介します。
1957年にデビューし、小田急ロマンスカーの地位を不動のものにした、3000形「SE」。SEに続いて製造された3100形「NSE」の後、1980年にデビューしたのが、7000形LSE(Luxury Super Express)です。高速化・居住性向上を狙った連接台車や、NSEで人気を博した先頭部の展望席を引き続き採用。さらに、日本初となる自動転換機能を備えた回転式リクライニングシートや、ロマンスカーでは初めてとなる自動式の乗降扉、小田急電鉄初採用となるワンハンドルマスコンなど、さまざまな新機軸を装備して登場しました。愛称の「ラグジュアリー」を体現したデザインの評価は、1981年には鉄道友の会よりブルーリボン賞が授与されていることからも窺えます。
1980年から1984年にかけて、計4本が製造されたLSE。NSEや1987年にデビューした10000形「HiSE」、2005年に新世代のロマンスカーとして営業運転を開始した50000形「VSE」などとともに、「展望席付きのロマンスカー」として、箱根特急などで活躍を続けてきました。また、1996年にはリニューアル工事を施工し、居住性が向上。車体の塗装も、登場時のオレンジ系から、HiSEに準じた赤系統のものへと変更されました。
都心と箱根を結ぶ観光特急として運行を開始した小田急の特急。しかしながら、通勤需要の高まりなどにより、ロマンスカーの役割にも変化が現れます。1996年にデビューした30000形「EXE」は、分割併合に対応し、輸送力の増強を図った車両。観光向けのみならず、通勤時など日常利用にもシフトした小田急の姿勢が現れています。また、2008年に営業運転を開始した60000形「MSE」は、地下鉄直通にも対応した汎用車両です。NSEはEXEに、HiSEとLSEの一部はMSEに置き換えられており、ロマンスカーは当初の観光重視の姿勢から、通勤でも観光でも使える存在へと変化していきました。
時代にあわせて立ち位置を変化させてきたロマンスカー。LSEの後輩であるHiSEと20000形「RSE」は、ロマンスカーの路線変更とともに、ハイデッカー構造の車体ゆえにバリアフリー対応が難しいという理由により、LSEに先立ち2012年に引退しました。残されたLSEは、在籍本数を2本に減らした一方、展望席付き車両としてVSEとともに活躍を続けてきましたが、2018年7月10日に定期運転を終了。3回のイベント列車で使用された後、10月13日、最後の営業運転となる「特急ロマンスカー・LSE(7000形)さよならツアー」において、38年の歴史に終止符を打ちました。
10月13日の12時27分、大勢のファンが待ち構える中、新宿駅にLSEが入線してきました。このさよならツアーに使用されたのは、最後に残ったLSEである7004F。デビュー以来、地球およそ148周分にあたる594万キロを走行した車両です。7月の定期運行最終日への充当はもちろん、2007年に実施された塗装のリバイバル化や、2011年4月16日、東日本大震災後にはじめて箱根湯本駅に入線したロマンスカーでの運用など、LSEが歩んだ歴史の節目を経験している編成ともなります。
約400人の乗客を乗せたLSEは、12時40分に新宿駅を発車。LSEが二度と旅客を乗せて訪れることのないであろう新宿駅の名残を惜しむかのように、旅客とホーム上のファンたちが手を振り合いながら、小田原へと向けて旅立ちました。
車内では、かつて使用された制服を着用した従業員による車内販売や、記念乗車証の配布、放送体験や運転台見学があたる景品の抽選会などが実施されました。特に車内販売は大盛況。通常の飲料やお菓子などのほか、LSE引退記念グッズも販売されているとあり、車内のあちこちでワゴンを呼び止める様子が見られました。
このLSEさよならツアーの車掌を担当したのは、海老名車掌区の松村信輝さん。松村さんは、小学生の頃に初めて乗車した特急がこのLSEで、ロマンスカーへの乗務教習で初めて乗車した車両もLSE、しかもさよならツアーに充当された7004Fだったという、LSEとの縁が深い方です。自らの初めてに関わったLSEのラストランに乗務できた松村さん。車掌区の先輩方からは、「思いを伝えてこいよ」と送り出してもらったということです。
撮影するファンのみならず、沿線で手を振る方々からも見送られながら走るLSE。新宿駅からノンストップで走行すること約80分、14時1分に小田原駅7番線に到着しました。LSEはドアを開かず、そのまま出発。ふだん営業列車が入線することがない、小田原駅西側にある引込線へと入線しました。
引込線に停車中も、車内イベントは続きます。放送体験や運転台見学のほか、受付時に配布された質問用紙により、乗務員が回答するコーナーも。「緊急時に運転席からはどのように脱出するのか」「ロマンスカーを運転するには特別な免許が必要なのか」など、限られた時間ながらも気になる質問が次々と読み上げられていきました。ちなみに、先の質問の答えは「LSEとGSEは運転席横の窓から脱出します。VSEには専用の脱出扉を使用します」「運転するのは通常の運転士が持つ免許のみで大丈夫です。ただし、運転士・車掌ともにロマンスカーに乗務するには社内資格が必要で、乗務開始から3年経過しないと資格取得試験を受験できません」とのことでした。
14時50分、1時間弱の休憩を終えて、LSEは走り始めました。再び小田原駅の7番線に入線した後、14時55分に最終目的地、秦野駅へと向けて出発しました。小田原駅から秦野駅へはおよそ20分。残りの質問に答えつつ、最後の走りを見せます。
小田原駅から、終点の秦野駅までの運転を担当したのは、運転士歴21年だという下村謙治さん。ロマンスカー乗務歴も18年だというベテランです。展望席の上に設けられている運転席からの景色を初めて見た際に、「これがロマンスカーなんだ」という印象を抱いたという下村さん。LSE=ロマンスカーという思いが強く残っていると語りました。
新宿近辺の高頻度運転区間と、箱根付近の急勾配区間を走るLSEは、自動車のギアを変えるように、モーター回路の直列と並列を手動で切り替える機能があります。この機能や小田急では数少なくなった抵抗制御の車両であることなどから、運転は難しかったと振り返った下村さん。雨が降った際には空転を防ぐために切り替えタイミングを調整するなど、研究を続けてきたとのことです。衝動の少ない運転のために腕を磨いた下村さんは、「ここから先も安全運転で、感謝の気持ちをもって運転を続けていきたい」と話していました。
終着駅の一つ手前、渋沢駅を通過したLSE。「LSEの運行は終わりますが、ロマンスカーの思いは受け継がれます」と放送する松村さん、ハンドルを握りつつ、沿線で手を振る人々に警笛で応える下村さん、そして400人を超える参加者やスタッフを乗せて、LSEは15時13分に秦野駅4番線に到着しました。
LSEは、10月20日と21日に海老名検車区などで開催される「小田急ファミリー鉄道展 2018」にて、最後の展示が実施されます。今後は、経年が進んでいることから他社への譲渡は難しいそうですが、2021年に海老名駅付近に開業予定の「ロマンスカーミュージアム」に、1両が展示予定。かつて肩を並べたロマンスカーたちとともに、活躍した線路のそばで保存されることとなります。
参加者を降ろしたLSEは15時33分、車両基地へ向けて発車。下村さんが運転するLSEは、見送るファンたちの「ありがとう」の声を浴びながら、ゆっくりと秦野駅を後にしていきました。
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