11月18日、京浜急行電鉄の羽田空港国内線ターミナル駅が開業20周年を迎え、記念式典が開催されました。
都心と、東京のみならず日本の空の玄関口である羽田空港を結ぶ、京急空港線。現在こそ京急のドル箱路線としての地位を占めていますが、かつては流浪の歴史を歩んできた路線でした。空港ターミナルへの乗り入れ20周年を迎えた京急空港線、その波瀾万丈の歴史をたどります。
1902年に開業した、空港線の前身である穴守線。穴守線は、現在の羽田空港B滑走路南端付近にあった穴守稲荷神社へのアクセス路線として、京浜電気鉄道(当時)により建設されました。開業当初こそ現在の穴守稲荷駅付近が終点だったものの、1913年に当時の穴守稲荷神社門前に延伸し、参詣路線として広く利用されました。
穴守線が転機を迎えたのは1945年。太平洋戦争の敗戦により国内に進駐した連合国占領軍が、当時の穴守稲荷神社を含む敷地一帯を接収しました。穴守稲荷神社付近には戦前に飛行場が建設されており、占領軍はこの飛行場を利用することを目論んだのです。穴守稲荷神社周辺の住民は、48時間以内の強制退去を命ぜられ、着の身着のままといった様相での脱出を余儀なくされました。穴守線も例外ではなく、現在の空港島より海老取川を挟んだ対岸、稲荷橋駅(現在の穴守稲荷駅)から先の区間は休止扱いとなりました。
終戦から約10年、サンフランシスコ平和条約の締結と前後して接収は順次解除され、羽田空港は完全に民間向けに使用される空港になりました。京急も歩調を合わせるかのように、1956年に穴守線を延伸。羽田空港駅が開業しました。しかしながらこの羽田空港駅は、空港島からは海老取川を挟んだ位置にあった駅。空港施設こそ目の前に見えるものの、旅客ターミナルからは直線距離で1キロ弱、道なりに進むとそれ以上と、空港アクセスとしての利用には難がある駅でした。アクセス手段としては、1954年に営業を開始したリムジンバスの東京空港交通や、1964年に開業した東京モノレールが担い、1963年に路線名を空港線に改称したものの、その名前とは異なり1ローカル線としての扱いとなっていました。
転機が訪れたのは、成田空港開業後の羽田空港沖合展開事業が計画された1980年代。1960年代の羽田空港は国際線・国内線とも就航していたため混雑が問題となっており、新たな国際空港となる成田空港を建設し、羽田空港の負荷を低減させました。しかしながら成田空港開業後も航空需要の伸びは著しく、国内線専用空港となった羽田空港も、ボーイング747やロッキードL-1011のような大型機ばかりが就航していたにも関わらず需要を満たすことはできず、1980年代には再びパンク状態となってしまったのです。そこで計画されたのが沖合展開事業。当時の空港敷地の沖合に広大な埋め立て地を造成し、空港機能を拡大する計画でした。京急はこの計画に合わせて空港ターミナルへの乗り入れを企図。これが認められ、約50年の時を経て、京急は再び空港島へと乗り入れることになりました。
1991年、空港乗り入れ準備として穴守稲荷~(旧)羽田空港間が廃止。2年後の1993年4月1日に羽田駅が開業し、京急の路線が再び空港島へと乗り入れました。そして同年の9月に東京モノレールの羽田駅が京急線との接続駅となったことにより、乗り換えは必要となるものの、空港線の名の通り空港アクセスに利用できる路線となりました。
羽田駅の開業から5年が経過した1998年11月18日、空港線は羽田空港駅(現在の羽田空港国内線ターミナル駅)へと延伸。名実共に空港アクセス路線となり、京急の長年の悲願がここに達成されたのでした。羽田空港駅開業と同時に実施されたダイヤ改正では、直通する都営浅草線内でも通過運転する「エアポート快速特急(当時)」と「エアポート特急」が設定。都心からの所要時間短縮に貢献したほか、京成電鉄にも乗り入れて羽田空港と成田空港の両空港を結ぶアクセス列車の任も担っていました。同時に、それまでの羽田駅は天空橋駅に改称。かつて京急線が通っていたルートに、新たに架けられた橋の名を冠しました。
無事に羽田空港への乗り入れを実現した京急。続いて取り掛かったのは、空港線の起点となる京急蒲田駅の大改造でした。1998年当時の京急蒲田駅は島式ホーム1面、相対式ホーム1面の2面3線という、空港島乗り入れ以前のローカル線時代そのままの配線となっていました。また、京急蒲田駅の出発直後にあるカーブは単線かつ半径80メートルと、線路容量面でも速度面でも足かせとなっていました。これらの課題と、本線や空港線と交差する国道15号線や環状8号線の「開かずの踏切」問題を解決すべく、京急蒲田駅付近の連続立体交差事業が遂行されることとなりました。
京急蒲田駅は、2010年5月に上り線が高架線へと移設。そして2012年10月に下り線が移設され、かつての手狭だった駅は2層構造で2面6線の巨大な駅へと生まれ変わりました。また、2010年7月には京成電鉄の成田スカイアクセス線が開業し、エアポート快特は京成線内で新線を経由するアクセス特急として運転されることに。また、同年10月には羽田空港国際線ターミナル駅が開業し、2空港アクセス、羽田空港アクセスの両面でそのプレゼンスが強化されました。
波瀾万丈の歴史を歩んできた空港線。2018年現在では、日中時間帯は、都心方面と空港を結ぶ快特・エアポート快特と、横浜方面と空港を結ぶエアポート急行が、それぞれ10分間隔で運転されており、かつて海老取川を隔てて空港を望んだ頃とは比べものにならないほどの路線へと変貌しました。2年後の東京オリンピック・パラリンピックでは国内外からの空港利用客輸送に活躍することが見込まれるほか、さらなる列車本数増発に対応するため、羽田空港国内線ターミナル駅から200メートルほど延伸し、引き上げ線を建設する計画もあるということです。
さて、18日に羽田空港で開催された記念式典では、京浜急行電鉄取締役社長の原田一之さんや、羽田空港国内線ターミナル駅駅長の齋藤功司さんのほか、イメージキャラクターを務める「くりぃむしちゅー」の上田晋也さん、有田哲平さんが登場。くす玉割りのほか、トークショーのコーナーも設けられました。
トークショーでは、くりぃむしちゅーは京急空港線PRキャラクターとしては3代目だというトリビアや、空港線の200メートル延伸計画、全国各地で走る京急PRラッピング車両が紹介されたほか、2人が駅名看板にサインする場面も。こちらのサイン入り看板は、11月29日から羽田空港国内線ターミナル駅に掲出されるとのことです。
空港ターミナル乗り入れ以来、国内線ターミナル増設や国際線ターミナル開業など、空港の変化に対応し続けた京急空港線。2年後の2020年には東京オリンピック・パラリンピックを控えており、その重要度は増すばかり。その一方で、JR東日本による羽田空港乗り入れ計画や、羽田空港と川崎市を結ぶ新しい橋の建設など、競合環境も変化し続けています。流浪の歴史を歩んできた羽田空港と京急空港線、そのさらなる飛躍に注目です。
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