京浜急行電鉄は1月21日、開業120周年を記念した式典を京急川崎駅にて開催しました。
京浜急行電鉄の礎を気付いたのは、「交通を変えた男」とまで言われたという立川勇次郎氏です。立川氏は、都市の発展には大量輸送機関が不可欠との考えの下、1898年2月25日に大師電気鉄道を設立。翌1899年1月21日、川崎大師の初大師(新年初の縁日)であるこの日に、六郷橋~大師間を開業させました。現在の大師線であるこの区間を最初に開業させたのは、まずは短距離でテスト運行し、実績を作ることが目的だったようです。開業当時は約2キロの営業距離だった京急も、現在は5路線87キロにまで成長し、立川氏の志を受け継いで、東京と羽田、横浜、三浦半島を結ぶ大量輸送機関として活躍しています。
会場には、養老鉄道の原恭社長が参列しました。養老鉄道は、京浜急行電鉄と同じ立川勇次郎が建設した養老線を運営する会社。同じ人物が建設した路線を有する京急と養老鉄道は、いわば兄弟の間柄と言える関係です。原社長によると、毎年8月には立川勇次郎を讃える「顕彰祭」を開催しているといい、2018年の開催時には、「兄弟」である京浜急行電鉄の原田一之社長も参列したそうです。また、立川勇次郎氏のひ孫である立川元彦さんも、式典に参列しました。立川さんは、「(立川勇次郎氏の)2人の息子が100年ぶりに再会したことを、空の上で喜んでいるのではないか」と話していました。
式典では、くす玉開花のほか、0キロポストとなる記念モニュメントの設置も行われました。京急の原田一之社長は、「開業120周年を期にもう一度原点に戻り、創業の路線である大師線の出発点である京急川崎駅に、0キロポストを設置する」とし、「これを今後120年の新たな出発点にしたい」と語りました。
京急と養老鉄道は、21日よりスタンプラリー「京急と養老をつなぐキャンペーン」を開催しています。奇しくも2019年4月に全線開業100周年を迎える養老線。同じ人物が建設した兄弟路線は、共に周年イヤーを迎え、未来へと走り続けていきます。
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