鉄道旅行誌「旅と鉄道」共同企画
夕張市とJR北海道は2016年、石勝線夕張支線の廃止に合意している。運炭列車が頻繁に行き来した鉄路は2019年3月、127年の歴史に幕を下ろす。
夕張市からJR北海道へ「攻めの廃線」申し入れ
石勝線夕張支線(新夕張~夕張間16.1㎞)の下り最終列車2633Dは19時20分、夕張駅に到着した。乗客は10人ほど、うち2人が駅舎へ続く細長い通路に向かった以外は鉄道好きの人たちらしい。ホームに残って8分後に折り返す2634Dの発車を待つようだ。こちらは夕張市中心街のホテルに宿泊予定で、駅の観察は翌朝に回す。
真っ暗な道道38号を歩く。夕張駅は1892(明治25)年、現駅から2.1㎞北側の炭鉱近くで開業した。閉山によって1985(昭和60)年には南側の中心街に近い市役所の裏手に移された。さらに1990(平成2)年、マウントレースイスキー場とホテルへのアクセスに便利なようにと南の現在地に移転。2代目駅舎があった位置から0.8㎞離れ、中心街との行き来は不便になった。ひとり歩きつつ、観光客優先で移設を決めた、当時の判断をうらむ。今回の夕張支線の廃止は、夕張市側からJR北海道に持ち掛けたものだ。市長はバス網の充実を図るための「攻めの廃線」と語ったそうだが、その判断は将来、正しいものになるのだろうか。
翌朝、8時25分発の上り「二番列車」2626Dをつかまえるため、夕張駅に向かう。明るいところで見回してみても、近くにはホテルと屋台村、コンビニのほか何もなかった。とんがり屋根の駅舎には喫茶店と雑貨店が入っているが、開店前。地元客らしい数人が立つホームに出ると、ちょうど8時17分着の下り2623Dが入線するところだった。
合わせて5人の鉄道好きらしい人たちが降り、駅名標やキハ40形1785号車の撮影に余念がない。全速力で駅舎へと向かう人もいる。折り返し時間はわずか8分。2623Dを逃すと12時38分まで列車がないのだから、必死になるのは当たり前か。
8時25分、無事戻ってきた5人を乗せたキハ40形は、「ワンマン」の行先表示を前面に掲げて、夕張駅のホームを離れた。2分間、ひと駅の乗車で、鹿ノ谷下車。ここで夕鉄バスに乗り換え、室蘭本線の栗山へ向かう。かつてそのルートを運行していた北海道炭礦汽船夕張鉄道線(夕張本町~ 野幌間53.2㎞、1975年廃止)の跡をたどって行こうと思う。
(提供=「旅と鉄道」2018年11月号、文/武田元秀、写真/原将人)
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