起死回生の一手は「路面電車化」
閑散ローカル線となっていた富山港線に、ふたたび転機が訪れたのは2003年です。JR西日本は、富山港線のLRT化を検討していることを発表し、富山市にこれを提案したのです。
当時、富山市やJR西日本などは、北陸新幹線の開業にあわせた富山駅の高架化を検討していました。この際、乗客が減少しつつある富山港線を、多額の費用を掛けてまで高架化する必要があるのかという、同線の存廃に関わる議論が進められていました。
富山市はこれに対し、自動車依存型のまちづくりから「公共交通を軸としたコンパクトなまちづくり」へ転換するべく、この案を受諾。利用者が減りつつある鉄軌道を活用し、公共交通によって各地域に点在する都市部を繋ぎ、一極集中では無いクラスター型の都市構造を目指すという富山市のまちづくり計画において、路面電車を始めとする公共交通機関は、なくてはならないものとなっていました。
富山港線のLRT化は2003年中に正式決定し、新たな富山港線の運営会社となる第三セクター「富山ライトレール」が2004年に設立されました。そしてJR富山港線は、2006年2月28日の運転をもって廃止。この路線を引き継いだ富山ライトレール富山港線が、同年4月29日に開業しました。
富山ライトレールの路線となった富山港線は、富山駅と岩瀬浜駅を結ぶという構成こそ変わらないものの、起点は富山駅北口ロータリーの一角に設けられた富山駅北停留場に。また、富山駅から約1キロの区間は、道路上に敷設された併用軌道を走る路線となりました。車両も低床車両へ一新。路面電車スタイルの車両が併用軌道と専用軌道を走るという、日本初の新設LRT路線が誕生したのでした。
JR時代は日中時間帯に毎時1本だった運転本数は、日中時間帯毎時4本に大増発。最終列車の時刻も繰り下げられました。また、JR時代は臨時駅だった競輪場前駅は、常設駅に変更。加えて開業時には4つの駅・停留場が新設され、利用者の利便性は大幅に向上しました。
さらに、岩瀬浜駅と途中駅の蓮町駅からは、LRTに接続するフィーダーバスを設定。神通川左岸エリアや常願寺川河口エリアへ、平日はおおむね30分に1本、土休日はおおむね1時間に1本の間隔で運行し、鉄道路線の無い地区へも公共交通網を広げました。
そして南北接続へ
富山港線LRT化の発端となった富山駅の連続立体交差事業は、2005年に事業認可が得られました。この事業では、北陸本線(現在のあいの風とやま鉄道線)、高山本線、富山地方鉄道本線の富山駅を高架化するほか、従来は富山地方鉄道の電鉄富山駅前を発着していた富山地方鉄道富山軌道線を、富山駅高架下まで延伸し、LRT化した富山港線と直通することが計画されました。駅の高架化によって南北の徒歩移動空間を構成するのみならず、南北軸の公共交通機関も整備することで、公共交通や中心市街地の活性化を図ったのです。
直通先となる富山軌道線では、まず第1段階として、2009年に富山市街中心部を経由する環状線「富山都心線」が開業。富山ライトレールと同様、公共交通機関によって都市の活性化を狙い、新たな路面電車の路線が開業したのでした。
南北接続の前提となる富山駅の高架化工事も、順次進められていきます。2010年には、富山駅の仮線移設が完了。北陸新幹線の工事と並行して北陸本線の高架線建設が進められ、2015年に新幹線ホームと在来線上り線ホームが完成しました。そして2015年3月の北陸新幹線開業と同時に、富山駅南北接続線の第1期区間も開業。富山軌道線の富山駅直下乗り入れが始まりました。
そして、2019年3月にあいの風とやま鉄道富山駅の高架化が完成。南北接続線第2期区間となる、富山駅~富山駅北間の工事が進められました。
工事と並行して、南北接続開始後の運行形態についても協議が進められました。富山地方鉄道、富山ライトレール、富山市は、富山地方鉄道が富山ライトレールを吸収合併し、富山地方鉄道が富山市の全軌道線を運営する方針を決定。2019年8月に国へこれを申請し、同年9月にこれが認可されました。
そして10月、3者は南北直通運転の開始日が2020年3月21日となることを発表。あわせて同年2月22日に富山ライトレールが富山地方鉄道へ吸収合併されることも発表されました。
2020年2月、事業者の合併により、富山ライトレール富山港線は、富山地方鉄道富山港線となりました。かつての路線名とは異なりますが、富山駅と岩瀬を結ぶ路線が、再び富山地方鉄道のものとなったのです。
そして、いよいよ3月21日には富山駅北~富山駅間が開業します。開業後は岩瀬浜~都心環状線・大学前・南富山駅前間の3系統が運転され、富山市が当初計画した公共交通軸の再編が、約15年を掛けて実現することとなります。