首都圏の通勤を支える通勤電車。特にJR東日本の通勤電車は、標準化された仕様で各線に投入され、それぞれの輸送を担う主役です。
最新型のE235系や、中央線などで活躍するE233系、常磐快速線のE231系などなど。そして、これら通勤型車両の基礎となったのは、JR化後第1世代の車両として登場した、209系です。
寿命半分、価格半分、重量半分
1987年の国鉄分割民営化により誕生したJR東日本。発足直後の課題の一つとして、首都圏で活躍する通勤電車の置き換えがありました。
JR発足当時、首都圏の通勤電車で主力を担っていたのは、国鉄時代に設計された103系。中央線快速電車や中央・総武緩行線では201系が導入されており、山手線でも205系への置き換えが進みつつありましたが、京浜東北線や横浜線など、その他の路線では多くの103系が残存していました。
同社は、山手線や横浜線、埼京線などには205系を継続して投入しましたが、さらなる103系の置き換えには、車両のコストダウンが求められていました。また、将来の少子高齢化も見据え、車両工場でメンテナンスに携わる要員を減らすための技術革新も求められていたのです。
そこで同社は、「寿命半分、価格半分、重量半分」というコンセプトを掲げた車両の開発を発表しました。これこそ、JR東日本が初めて開発した通勤型車両である901系、後の209系です。
寿命半分とは、従来の車両では数十年間の使用を前提としていたものを、法律で定められた減価償却期間(企業会計において年数が経過するごとに資産の価値を減少させていく期間)である13年間を最低の使用期間とし、車両の使用年数を約半分に見直したものです。
209系では、「13年/200万キロ非解体」を掲げ、製造後13年経過するか200万キロの走行を終えるまでは制御装置などの重要機器を分解不要な設計とし、大幅なメンテナンスフリー化によるメンテナンスコスト削減を目指しました。
また、機器類や接客設備が陳腐化した場合でも、更新、あるいは廃車することで、陳腐化した技術の継続使用が避けられます。もちろん製造段階で13年後の廃車が確定していたわけではありませんが、多くの車両が走る首都圏の通勤電車では、この「寿命半分」が重要なコンセプトでした。
寿命半分を実現するには、メンテナンスなどのトータルコストはもちろん、車両価格自体も削減しなければいけません。「価格半分」です。209系では、製造を担当した東急車輛製造(当時)と川崎重工業に対し、それぞれ両社が得意とする車両製造工法の採用を認めることで、製造コストの削減を図りました。
東急車輛製造では、従来工法を進化させた軽量ステンレス車体を製造。川崎重工業では汎用ステンレス鋼のSUS304を用い、従来は太く重い柱で担っていた車体強度を、プレス加工による成型板が担うことで重量削減を狙う「2シート工法」で、軽量ステンレス車体を製造しました。
そして、省エネ化による動力費削減や、線路のメンテナンスコスト削減に寄与するのが、「重量削減」です。209系では、軽量ステンレス車体の採用のほか、モーター搭載車の削減などにより、大幅な重量削減を達成。京浜東北線用の10両編成では240.7トン(1次車)と、それまで同線で使用されていた103系の363.1トンよりも34%もの重量を削減できました。
このほか、新技術も積極的に採用されています。モーターを動かす制御装置は、当時普及しつつあったVVVFインバータ方式に。これは、過回転を許容する交流電動機との組み合わせによって定格出力を抑え、コストや重量を削減することにもつながっています。
また、運転台には機器を監視するモニタ装置を設置しました。これは651系などに続いて採用されたものですが、209系では加速・ブレーキ指令の伝送機能も搭載し、運転台からの指令は各車両へデジタル伝送されるよう進化しています。これはE231系以降の車両が搭載する「TIMS」や、E235系などが搭載する「INTEROS」にも繋がる技術となっています。
なお、209系のコンセプトのうち、「寿命半分」という点は、簡略化された内装も相まって「使い捨て電車」との勘違いを産み、レンズ付きフィルム「写ルンです」をもじった「走ルンです」という愛称がメディアや鉄道ファンらにより付けられてしまいました。
先述した通り、209系は製造から13年が経過した時点で廃車しても元は取れるよう設計されていますが、後に京浜東北線を撤退した際にも、約4割の車両は機器を更新し、他路線へと転属しているなど、使い捨て車両として扱われたことはありませんでした。もちろん、転属先の需要に応じて廃車された車両もありますが、これらは資源としてリサイクルされています。
余談ですが、写ルンですは現像時にプラスチックの本体を回収された後、整備されて再び流通するリサイクルシステムが構築されており、こちらも使い捨てカメラではありません。
新世代車両の躍進
209系量産車に先立って登場した901系では、新機軸の導入のため、さまざまな形態からなる3編成が製造されました。制御装置はVVVFインバータ方式を採用していますが、各編成で異なる制御方式のものを搭載。1本目のA編成では荷物棚の一部省略など、2本目のB編成ではワンハンドルマスコンの採用や吊革の非設置など、3本目のC編成では広告用液晶画面の設置などが盛り込まれました。
吊革や荷物棚の省略は、利用者へのアンケートにより撤回されましたが、ワンハンドルマスコンは賛否があったものの本採用。広告用液晶画面も、後に登場するE231系などで採用されています。
901系は、1992年に京浜東北線で営業運転を開始。そして、901系の試験や営業後の評判を踏まえて登場した209系量産車が、1993年にデビュー。同線で活躍していた103系を、1998年までに全て置き換えました。901系は、1994年に量産車改造の上、A編成が209系900番台、B編成が910番台、C編成が920番台へ改番されています。
京浜東北線以外では、0番台が南武線に、3000番台が川越線と八高線に、地下鉄直通用の1000番台が常磐緩行線に投入されました。また、東京臨海高速鉄道では、りんかい線用の車両として、209系をベースに設計した70-000形を導入しました。この70-000形は、当初は4両編成で導入されましたが、後に6両編成、そして10両編成へと増強されており、編成組み換え時に余剰となった6両がJR東日本へ譲渡。これらは中間車2両を増備の上、川越・八高線用の209系3100番台として、209系に組み込まれています。
このほか、209系を基にした車両として、横須賀・総武快速線用のE217系と、常磐線用のE501系が登場しています。前者は主に足回りが、後者は車体のデザインが209系と共通。その他の部分は異なるものの、後の形式における標準化につながるグループを築きました。
JR東日本は、209系の発展形として、さらなる新型車両の開発に着手します。1998年に登場した209系950番台、後のE231系900番台です。209系のコンセプトはそのままに、定員増加を目指した広幅車体や、IGBT素子を採用した制御装置、モニタ装置をさらに進化させたTIMSなど、新世代の車両として開発されました。
次世代車両の開発を進める一方、老朽化した車両の置き換えは急務となっていました。当時の中央・総武緩行線では、103系の老朽化が深刻となっており、故障が多発していたのです。そこでJR東日本は、E231系の広幅車体と、209系の足回りを組み合わせた、209系500番台を製造。1998年に営業運転を開始しました。
編成単位の製造は、2000年に落成した500番台のC516編成をもって終了。2005年に製造された3100番台の中間車2両を含め、合計1030両が製造されました。