首都圏への通勤需要がある常磐線、なぜ交流電化?
東京から各地へ延びる主要路線のうち、西へ延びる2線、東海道本線全線と中央本線の東京~甲府間は戦前に電化されていましたが、東北・信越方面の路線、東北本線と高崎線、上越線、信越本線、常磐線は、都市部で通勤電車が走る区間や、勾配が厳しく電気機関車を用いる区間を除き、電化されていませんでした。
北方面各線の電化が進むのは戦後のこと。例を挙げると、東北本線は1968年に東京~青森間の全線電化が、常磐線は一足早く1967年に日暮里~岩沼間の全線電化が、それぞれ完成しました。電化された区間のうち、列車本数の差などを勘案して、東北本線は黒磯~青森間が、常磐線は取手~岩沼間が、それぞれ交流電化となりました。
ここで不思議なのは、常磐線の電化区間です。
1961年に取手~勝田間が電化された際には、新型電車の401系が投入されています。まだまだ客車列車が現役だった当時、新型の電車を投入するということは、1963年に115系が投入された東北本線や高崎線と同様の需要があったということです。
相当の需要が想定されるのであれば、多くの車両が必要となるため、直流電化とした方が有利です。それなのになぜ、常磐線では交流電化が採用されたのでしょうか。
その答えは、茨城県石岡市柿岡に所在する、気象庁の地磁気観測所です。この観測所では、地球が生み出す磁場である地磁気を観測し、地球の状態監視や航空機などの安全運航確保、無線通信障害の警報などに活用しています。
ここでの地磁気の観測に対して、鉄道の直流電化は外敵といえます。先述したように、直流電化方式で電車から変電所へ帰る電力は、一部がレールから地中へと漏れています。この漏れ出した電力が、地磁気へと影響を与えてしまい、正常な観測を妨げてしまうのです。
なお、交流電化の場合も直流電化同様、一部の電力はレールから地中へ漏れ出しています。しかし、地磁気へ与える影響という面に限れば、交流では電化方式で対策を取りやすいため、直流ほどの問題とはなりません。
地磁気観測所が柿岡へと移転したのは、1913年です。もともとは東京市内(当時)で地磁気を観測していたのですが、直流電化の市電(当時)が開業したため、観測の妨げになってしまいました。これを解決するため、東京へのアクセスが良く、かつ周囲にも十分な場所が確保できる柿岡へと移転したのでした。
時が下り、常磐線取手以北の電化が検討された際、あわせて地磁気観測所の移転も検討されたといいます。しかしながら、地磁気は同じ場所で継続して観測することが重要で、簡単に移転することはできませんでした。また、同時期に地磁気へ大きな影響を与えない交流電化の実用化に目途が付いたため、移転ではなく交流電化が選択されたのでした。
常磐線の取手以南を走る「快速電車」では、通勤ラッシュの混雑が激しくなるのにあわせ、4ドア・ロングシートの103系が投入されました。一方、取手以北へ直通する「普通列車」では、401系やその改良型である403系、415系が主力。これらは3ドア・セミクロスシートが主流で、激しいラッシュ時に向いた車両とは言えませんでした。
常磐線沿線自治体などでは、1987年に「茨城県南常磐線快速電車延伸促進対策協議会」を設立し、「快速電車」の取手以北への延伸をJR東日本に要望。これを受けて1995年より4ドア・ロングシートで交直両用車両のE501系が投入されましたが、こちらは60両のみの製造に終わってしまいました。
取手以北へ向かう車両が改善されるのは、2005年に4ドア・セミクロスシートながら通勤需要にも対応したE531系がデビューしてから。現在の常磐線は、取手駅までの列車はE231系、取手駅より先へ走る列車はE531系、という、2種類の列車が走る路線となっています。
地磁気観測所では、直流電化の影響は35キロ程度に及ぶとしています。そのため、この円の中を走る常磐線はもちろん、2005年に開業したつくばエクスプレスでも、守谷以北では交流電化となりました。
また、取手側で多くの列車を運行している関東鉄道常総線では、かつて電化を検討していたことがありましたが、路線が地磁気観測所の影響を受ける範囲にあるため、直流電化は断念。交流電化も車両コストが増えるために採用されず、現在も非電化路線となっています。