未だ住民が帰還できない復旧区間
3月14日、富岡〜浪江間の運行再開によってJR常磐線が全線復旧してから、1年が経過しました。東日本大震災から10年。各地で町や交通インフラが再生し、避難指示が解除される地域も増えるなど、復興は少しずつ進んでいます。
しかし、常磐線沿線は鉄道の運行が再開されたとは言え、まだまだ震災前の日常が戻ったわけではありません。3月の平日、震災から10年が経過した常磐線を訪れました。
常磐線日暮里〜岩沼間343.7kmのうち、震災と原発事故の影響によって1年以上にわたって運行ができなくなったのは、広野〜原ノ町間と、相馬〜亘理間でした。2013年以降、浜吉田〜亘理(2013年3月16日)、広野〜竜田間(2014年6月1日)と徐々に運行が再開され、2016年12月10日に復旧した相馬〜浜吉田間では、駒ケ嶺〜浜吉田間22.6kmが内陸にルートを変更して、営業キロ23.2kmとなっています。
最後まで不通区間として残ったのが、富岡〜浪江間20.8kmでした。この区間は、事故を起こした福島第一原子力発電所にもっとも近づく区間で、避難指示区域を通過していたからです。対策の進展によって、避難指示が解除される地域は徐々に増え、2020年3月14日、待望の運転再開が実現しました。現在は1日11往復の普通列車と3往復の特急「ひたち」が運行されています。
ですが、沿線には依然として長期にわたって人が居住できない帰還困難区域が多く存在しています。
避難指示区域の境界にある夜ノ森駅
いわき駅から、朝6時9分発の下り原ノ町行き665Mに乗って、まずは最終復旧区間最初の駅である夜ノ森駅に向かいます。電車はE531系5両編成。朝のいわき周辺は、上り列車でいわき方面へ通勤・通学する利用者が多いのですが、下り列車にも30人近い乗客が乗っていました。竜田と富岡で多くの人が降りましたが、夜ノ森駅に降りたのは筆者1人でした。
夜ノ森駅は、富岡町の北端に位置する住宅街の駅です。標高60mほどの台地にあり、線路は7〜8mほど低い切り通しの中を通っています。東口には、最近まで1921年の夜ノ森駅開業時から使われて来た木造駅舎がありました。しかし、老朽化と高い放射線量のため2019年に解体。跡地には、旧駅舎の面影を残した瓦屋根の待合室兼トイレが整備され、2020年12月から使用を開始しています。
東口駅前広場は現在整備工事中ですが、駅前道路には片側の歩道に柵が設置され、人の気配はありません。夜ノ森駅の東側は、現在も大部分が帰還困難区域に指定され、住民が生活を再開できる状況ではないのです。常磐線が復旧する直前の2020年3月10日、駅前広場と駅前通りの一部について避難指示が解除され、宿泊はできないものの自由に通行できるようになりました。夜ノ森駅から徒歩10分ほどの場所には、桜のトンネルとして知られる桜並木があり、通行が可能です。
どうして、駅周辺と道路だけが解除されたのでしょうか。帰還困難区域とは、避難指示区域のうち、事故から5年が経過した2016年以降においても、1年間の放射線量が20ミリシーベルトを超える可能性がある区域です。
人は、100ミリシーベルトを超える放射線を浴びると、がんのリスクが少しずつ高まるとされています。そこで、放射線からの防護について専門家の立場から勧告を行う国際組織、国際放射線防護委員会(ICRP)は世界各国に対し、一般の人が1年間に浴びて(被ばくして)よい放射線の量を20〜100ミリシーベルトの範囲にするべきと勧告しています。日本では、このうちもっとも厳しい年間20ミリシーベルトを限度としているのです。
もっとも、駅を利用するために通りがかることや、お花見などの散策をするために訪れるくらいであれば、20ミリシーベルトを超える放射線を浴びる恐れはまずありません。そこで、まずは駅周辺と道路から帰還困難区域の指定を解除し、人々が駅を利用したり、桜を見たりできるようにしたのです。
この周辺の駅には、改札口近くに必ず空間線量率表示器が設置されており、1時間あたりの放射線量をリアルタイムで表示しています。夜ノ森駅の線量は0.160マイクロシーベルト(1ミリシーベルトは1000マイクロシーベルト)。年間に換算すると約1.4ミリシーベルトで、基準値を大幅に下回っていました。夜ノ森駅は十分安全と言えます。
さて、同じ夜ノ森駅でも、西口は雰囲気が全く異なります。駅前には畑と共にきれいな住宅が並び、生活のにおいが感じられます。実は、駅の西側は2017年4月に避難指示が解除された地域。徐々に住民生活が戻りつつあります。夜ノ森駅は、富岡町の帰還困難区域のまさに境界線にあるのです。
徒歩で行ける場所が制限されている大野・双葉駅
7時55分発の原ノ町行き667Mで大野駅へ進みます。ここは、福島第一原子力発電所の1〜4号機が所在する大熊町にある、原発最寄り駅。夜ノ森駅と同様、2020年3月10日に駅周辺と接続道路の避難指示が解除され、誰でも自由に乗降できます。
ただし、状況は夜ノ森駅とは異なります。東口で自由に立ち入れるのは駅前広場のみ。徒歩では駅前通りに出ることもできません。西口は、常磐自動車道大熊IC方面へは歩行者を含めて通行可能。しかし、駅前商店街には許可を受けた人以外立ち入ることはできません。
橋上駅舎の改札口近くにはやはり空間線量率表示器があり、取材時の値は0.267マイクロシーベルト。夜ノ森駅よりは増えましたが、年換算約2.34ミリシーベルトで、こちらも十分安全な数値と言えます。ただし、町全体が安全になったと言うことはできません。改札横の待合室にある放射線関連情報の案内パネルで現在の放射線量を確認すると、町内には6.639マイクロシーベルト(年換算約58ミリシーベルト)という高い線量を示している場所もあります。
東口広場に、通行証を掲示したワンボックスカーが停車していました。大野駅と、南西に3kmあまり離れた大河原地区とを結ぶ、大熊町の生活循環バスです。
大熊町のうち、大河原地区については避難指示が解除され、役場や復興住宅が建設されるなど復興が進んでいるのです。大熊町によれば、まだ日常的に大野駅を利用する通勤・通学客は少ないものの、生活循環バスと電車を組み合わせていわき市や首都圏などに出かける人は一定数いるとのこと。電車に接続して設定されている生活循環バスは住民以外も無料で乗車でき、一部の便は富岡駅まで直通しています。町民の方優先ですが、乗車すれば大熊町の現状と、復興ぶりを見ることができるでしょう。
8時39分発の669Mで、いったん二駅先の浪江駅を訪れます。浪江町も、一時は町全域に避難指示が出された町です。除染やインフラの復旧が進められた結果、浪江駅を中心とした東部の市街地については2017年3月31日に避難指示が解除。翌4月1日から常磐線浪江〜小高間の運行が再開されました。駅周辺は、傷んだ建物を撤去し更地になった場所も多く、人通りはまばらですが、新しいマンションが建ち飲食店も営業を再開するなど、賑わいが少しずつ戻り始めています。
続いて、浪江駅9時33分発の670Mで双葉駅へ。震災前の大野〜双葉間は複線でしたが、復旧後は単線となりました。双葉駅も1面1線となり、旧上り線は非常用の道路として整備されています。
双葉駅がある双葉町も、原発事故によって町全体が避難を余儀なくされた地域です。しかも、海沿いの一部が避難指示解除準備区域となっているほかは、町域の大部分が帰還困難区域に指定されたままで、役場はいわき市にあるなど、今もほぼすべての町民が全国に避難を続けています。
この日の双葉駅の線量は0.080マイクロシーベルト(年換算約0.7ミリシーベルト)。立ち寄るぶんには全く問題のないレベルですが、駅周囲で歩ける場所は限られます。コミュニティセンター連絡所で、立入制限区域を示した地図を配布しているので、駅周辺を歩いてみたい人は連絡所に立ち寄るとよいでしょう。
双葉駅から約2km離れた海岸沿いには、震災と原子力災害の発生から現在までの歩みをアーカイブする東日本大震災・原子力災害伝承館があります。駅からは無料のシャトルバスが運行されていて、2021年3月現在は無料。伝承館は、震災発生から現在までの双葉町と福島県、そして全国の人々の復興への取り組みが紹介されている施設で、この地域で被災した職員から当時の経験や心境などを聞くことができます。隣接する産業交流館では、30分単位でレンタカーを借りることもできるので、近い将来保存・公開が決まっている請戸小学校など、周辺の震災遺構をめぐることが可能です(要予約)。