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日本初の鉄道開業の地、横浜みなとみらいエリアの鉄道の歴史

2021年4月29日(祝) 鉄道コムスタッフ 西中悠基

4月22日、横浜みなとみらいに新しいロープウェイ「YOKOHAMA AIR CABIN」が開業しました。

「YOKOHAMA AIR CABIN」のゴンドラ
「YOKOHAMA AIR CABIN」のゴンドラ

YOKOHAMA AIR CABINは、桜木町前から運河パーク前までの片道約600メートルを結ぶ路線。「よこはまコスモワールド」などを運営する泉陽興業が運営する路線で、横浜市による「まちを楽しむ多彩な交通の充実」に向けた公募に対して提案され、実現したものです。

国内にはロープウェイ路線は数多く存在しますが、現存するものはほとんどが山間部のものです。一方、海外においては、バスなどの他システムに並ぶ交通手段として、都市部に導入される例があります。運営会社の泉陽興業では、YOKOHAMA AIR CABINを「日本初、世界最新の都市型循環式ロープウェイ」として位置付けており、横浜市でも「移動自体が楽しく感じられるような交通サービス」と、従来のシステムとは異なる位置付けとしています。

さて、YOKOHAMA AIR CABINのシステムであるロープウェイですが、日本の法律上は「索道事業」という分類で「鉄道事業法」が扱う事業となっており、一般的な「鉄道」やモノレールなどの「鉄道事業」とは別物ではあるものの、広義な「鉄道」の一種とも言えます。

新しい鉄道の仲間が開業する横浜。この横浜は、日本初の鉄道が開業した地でもありました。横浜の歴史とともに発展を遂げてきた、横浜の鉄道を振り返ります。

2度も移転した横浜駅

日本初の鉄道が開業したのは、1872年のこと。6月12日に品川~横浜間が仮開業し、10月14日に新橋~横浜間が正式開業となったのでした。

開業当時の初代横浜駅の絵画(桜木町駅の展示)
開業当時の初代横浜駅の絵画(桜木町駅の展示)

この当時の横浜駅は、外国人居留地にほど近い、現在の桜木町駅に位置していました。港や市街地へのアクセスは便利だったこの駅ですが、路線が西へ延びると、スイッチバックする線形となってしまいました。日清戦争中には輸送力確保のために神奈川(現在は廃止)~程ケ谷(現:保土ケ谷)間の短絡線が建設され、後に旅客列車でも使用されるようになりましたが、これは当時の横浜市街地中心部を経由しないものでした。

開業時の位置関係(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆)
開業時の位置関係(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆)
神奈川~程ケ谷間に短絡線が敷設(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆)
神奈川~程ケ谷間に短絡線が敷設(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆)

スイッチバックのために効率が悪化している状況を改善するため、横浜駅は1915年に移転。設置位置は現在の横浜市営地下鉄高島町駅付近となり、スイッチバックは解消されました。同時に、初代の横浜駅は桜木町駅に改称。1914年に営業運転(本格的な営業運転は翌1915年)を開始した京浜線(現在の京浜東北線)の終着駅となりました。

1920年ごろの位置関係。貨物線は灰色で、貨物駅は省略(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆)
1920年ごろの位置関係。貨物線は灰色で、貨物駅は省略(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆)

1923年9月1日に発生した関東大震災で、横浜市も大打撃を受けます。2代目の横浜駅も例外ではなく、駅舎が地震の被害を受けてしまいました。この震災を機に、横浜駅はふたたび移転することに。1928年、日清戦争中に敷設された短絡線を新たなルートとし、桜木町方面と大阪方面の分岐点となる位置に駅を移転しました。これが、現在の3代目となる横浜駅です。

2021年現在のJR線の位置関係(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆)
2021年現在のJR線の位置関係(国土地理院「地理院地図Vector」の淡色地図に加筆)
土台のみが保存されている、2代目の横浜駅駅舎
土台のみが保存されている、2代目の横浜駅駅舎

現在の横浜駅は、JR線に加え、東急線や相鉄線、京急線、横浜市営地下鉄線、みなとみらい線が乗り入れる拠点駅。新幹線こそ乗り入れないものの、神奈川県の旅客輸送における中枢駅となっています。

現在の横浜駅周辺
現在の横浜駅周辺

貨物輸送や国際連絡輸送を担った横浜港

一般利用者の目線では、旅客輸送の印象が強い鉄道。ですが、鉄道には貨物輸送という使命もあります。特に、自動車が発達していなかった戦前の国内貨物輸送は、内航船に次いで、鉄道が大きなウェイトを占めていました。特に、船が通れない内陸部の輸送では、鉄道が貨物輸送を一手に担っていました。

外航船が就航する横浜港では、国内貨物輸送との結節は特に重要でした。初代横浜駅にも、開業時から貨物の取り扱い設備が設けられていましたが、開業時点では現在の山下公園~大さん橋付近にあった東波止場(フランス桟橋)や西波止場(イギリス桟橋)が使われており、駅と波止場は離れていました。

明治後期になり、新港埠頭の整備が始まると、ここへ乗り入れる鉄道の整備も始まります。1911年には、現在の赤レンガ倉庫付近に、鉄道貨物荷扱所が開設。この荷扱い所は、1920年には駅に昇格し、貨物だけでなく旅客営業も取り扱う横浜港(よこはまみなと)駅となっています。

横浜港駅は、現在の赤レンガ倉庫付近に所在しました
横浜港駅は、現在の赤レンガ倉庫付近に所在しました

この横浜港における荷扱施設には、貨車の入換ができる操車場のスペースがありませんでした。そこで、現在のアンパンマンミュージアム付近に、操車場機能を持った高島駅を建設。横浜港荷扱所の開設2年後となる1913年に開業しました。さらに1917年には、鶴見駅と高島駅を結ぶ貨物線、現在の高島線(通称)が開業し、東京方面と横浜港を結ぶ貨物列車は、従来の線路(現在の東海道本線のルート)から分離されました。

また、横浜港駅にはプラットホームが設けられ、先述の通り旅客列車の乗客も利用可能でした。この横浜港駅を発着していた旅客列車とは、「ボート・トレイン」。横浜の新港埠頭からサンフランシスコに向けて就航していた国際航路に接続していた列車で、日米国際間連絡輸送の一翼を担っていた列車でした。

かつて「ボート・トレイン」が発着したホームが再現されている赤レンガ倉庫
かつて「ボート・トレイン」が発着したホームが再現されている赤レンガ倉庫

旅客列車では、「太平洋の女王」と称された「浅間丸」など、サンフランシスコ航路の運航にあわせてボート・トレインが運転され、貨物でも、日本の発展とともに取扱高が上昇。1930年代には、客貨ともに横浜港の黄金期を迎えたのでした。

 

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